戦友K
A曹長に続き、K曹長の話をしよう。
KはAと同様、俺と同じ船で復員、舞鶴港に上陸したシベリア抑留組である。KもAも関西の某県人である。
シベリア抑留時代、Kの姓はNであった。
敗戦後25、6年経った「独立工兵隊戦友会」の名簿にKと記載され備考欄に旧姓Nとあった。
「ハハン!養子にいった」と 理解する。
戦友会の幹事は持ち回りで、関西地方・東海・関東と転々し、毎年開催されてきた。今から10年前頃、京都開催の時、ホテルで彼Kと同室したことがある。
以下Kの話である。
1944年になって、K家の男ばかりの何人兄弟の何番目かの彼「K」に、隣町のN家へ『婿入り』の話がすすんでいた。
そんな矢先、3月15日入隊、の召集令状が舞い込んだのである。さあ 大変、両家で話合い、急遽、結婚入籍となったのである。彼の姓はK→Nへ、この時点で変更されたのである。
慌ただしく、しかし濃密な1週間足らずを過ごし入隊したのである。
外地へ出立するまで、嫁さんは毎日、部隊を訪れたそうだ。部隊の衛兵所は、彼と嫁さんのために、衛兵の仮眠所を開放し、アッアッのショ-トタイムの提供があったそうだ。なかなか粋な衛兵所ではある。
彼「K」を乗せた復員列車は、舞鶴を出発。京都駅で、東へ向う列車と別れ、西行する。
某市の駅に、実父と長兄が出迎えてくれた。嫁さんの姿がみえない。「これは何かある。嫌な予感がする」。
「疲れたろう、まあまあご苦労さま」と駅近くの旅館へ案内された。腫れものに触るように、大事に丁重に扱われれば、されるほど、居心地がわるい。「何かある」だんだん確信を深くする。 『嫁』さんのこと、聞きたいがこちらから言い出せる雰囲気ではない。
夕食、風呂も済、就寝時間となった。‥‥消灯。
暗くなって、父と兄が代わる代わる話しだした。
Kは5人兄弟の4番目だ。戦争末期の1944年K家からN家へ「婿入り」した直後に陸軍・工兵隊に召集され、支那・洛陽戦線を転戦し、敗戦の6日前満洲へ、敗戦、シベリア抑留、1948年9月、ナホトカから帰艦船「大郁丸」で舞鶴港へ復員した。
敗戦後、厚生省復員援護局は、「独立工兵隊」のように敗戦の数日前に満洲に入った者についての情報は少なく、現に、舞鶴復員援護局で見た俺の戦時名簿(履歴書)には「行方不明」の印がついていた。
そんな混乱の中で、Kは失踪者としてあつかわれた。
N家はK家と相談し、改めてKのすぐ上の兄をN家に婿入りさせたのである。
Kは一息入れ、こんな話をしても当たり障りある関係者はみんな亡くなってしまった。
Kは話の中で、「兄(にい)さん」がかっての嫁を「〇〇さん」と丁重に表現していたのが、妙に耳に残っている。
今年は間もなく、敗戦後、満64年を迎える。
2009.07.21記