兵隊・抑留記(105) さらばシベリア
復員(ナホトカ → 舞鶴) - その1
60年前(1948)の9月19日はシベリア抑留を終え帰還船にて舞鶴港上陸の日である。
ナホトカは日本海に面した港街だ。俺たちの一団は長い列となって街なかを歩く。波止場へ向か途中この街で働く同胞(抑留者)とすれ違う。何処をどう歩いたか、ようやく前方に大きな船が見えてきた。近づくに従い、黒い船体はいかにもくたびれていたが、帰還船(貨物船大郁丸)とわかる。
隊列が止まり、乗船開始も近い。
シベリアよさらばだ。愈々最後の詰めである。しかし乗船手続きは遅々として進まぬ。俺は思案する。
〔名簿に俺の名前はあるか〕〔骸骨の金玉‥‥以来『貝』となって、それなりに苦労してきたつもりだ〕〔ソ連当局・手先のアクチブ・迎合するスパイなどに足止めされたら大変だ〕
一刻も早く乗船してシベリアを離れたい。緊張の連続である。
隊列の先の方が動き出した。姓名が読み上げられ乗船開始である。俺の名はロシア語のアルハベットのどの辺なのか、待つこと久し。呼ばれて無事関所を通過できた。船に向かって一歩を踏み出す。タラップに足がかかる。
シベリア大地よ、さらば!
つづく
用語解説
【骸骨の金玉‥‥】アクチブにより、反動分子として吊しあげられた時「骸骨の金玉にぶら下がるどぶ鼠」と言われた。(参照)
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ブログ管理人から
原稿が切れて、しばらく書き込みが途絶えていました。
何度か父に催促してやっと原稿ができあがってきました。
それにしても、60年も前のことをよく覚えているものだと感心します。