兵隊・抑留記(101) 勝手知ったる三尺層
抑留後期~帰還まで - その6
さて、炭坑の作業現場は、もとの古巣、勝手知ったる三尺層であった。
ロシア人監督は顔見知りであり、久しぶりの再会というわけであった。
当時、炭坑作業の中で“俺”が従事したことがない作業は、“コンベアのモーター番”と“発破”ぐらいのものであり、それ以外の作業である運炭(ナワラダボイシュク)、坑木運搬(レサノース)、支保工(クリピーチク)、トロッコ係(リカボーイ)など大概の作業に経験があったから、監督は便利な奴が来たと喜んでくれたのである。
抑留初期の炭坑作業と違って、この頃になると「ノルマ(作業標準量)」の達成率に応じて“賃金”が支払われるようになっていた。が、三尺層の「リカボーイ(トロッコ押し)」は、いくら一生懸命働いたとしても、肝心な石炭が出てこないので「ノルマ」達成には程遠い職場である。従って、抑留者の多くが敬遠する職場であったようだ。
“俺”は“五体満足・体力温存”主義だから、皆が敬遠する「リカボーイ」に喜んで従事したのである。
つづく
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ブログ管理人より。
抑留関係のホームページを検索していたところ、「旧ソ連抑留画集 」にたどり着きました。
当時の様子を描いた貴重な資料だと思います。
http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm