兵隊・抑留記(84) 軍医に怒り心頭
抑留後期 - その5
ブカチャチャの抑留生活中で、敗戦の年の暮〔1945年(昭和20)〕から翌年の春まで、栄養失調・発疹チフスで多くの戦友を失った最悪の期間である。
ソ聯側は、人権を無視し、居住環境改善とか、栄養補給とか、労働軽減などの処置を取らず、何をしたか。
それは、労働力の確保するための身体検査(健康検査ではない)を実施し、抑留者全員(将校を除く)を丸裸にし、ソ聯・女医(俗称メダマ)の前に一人ひとり立たせたのである。椅子に腰かけている「メダマ」の鼻先に男根がある。全身の肉のつき具合を見る。「マワレミギ」尻をつまんで、判定。
「アジン」(一のこと・炭坑行き)。粗末な紙に名前と判定結果が書き込まれる。
「ドヮー」(二のこと・屋外勤務)。
「トリー」(三のこと・軽作業)。
「ジストロフィ一・二・三」(栄養失調数字の多いほど重症である)。
この身体検査には日本側としてTo軍医が立ち会っていた。
“俺”の前に重度の栄養失調者が居る。顔はむくんでいるので一寸見には判らないが、丸裸にすると判る。後ろから見ると、肉のない尻は皮が骨に張り付き肛門がハッキリみえるではないか。これにはビックリした。
尚、こんな場所で、このような重症者の身体検査を実施するとは--。
こんな処遇に対し、To軍医は何をしているんだろう。こんなことでは助かる命も助かるわけがない。怒り心頭である。
つづく