兵隊・抑留記(83)    K氏の銃殺事件真相(3) | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(83)    K氏の銃殺事件真相(3)

 
抑留後期 - その4
 
 
 当時のラーゲリの居住環境・食糧事情等は悪化の一途を辿っていた。
 
 シベリヤの環境に順応できぬまま、栄養失調・発疹チフスなどに冒される者が続出し、この地、ブカチャチャでの戦没者のほとんどが、翌、昭和21年の春にかけて集中しているのである。
 
 春先、炭坑で働くいわゆる健常者と称する者の中ですら、栄養のバランスを欠き、特に野菜が不足し、歯茎から出血する者続出というありさまであった。
 
 栄養失調の特徴として 食べたものは不消化のまま体内を直通して体外へ、更に、頻繁に厠に通うようになる。
 
 栄養失調で亡くなった戦友を思う時、栄養の補給なく、何回も通う《11月の厠》は真冬の零下30度を越える寒さには及ばないが、体力の消耗は激しかったと思う。
 
 彼が何回も厠に通ううち、たまたま厠までもたず、我慢し切れず厠の裏側に回りしゃがんだところで、事件は起きた。
 
 彼は柵の手前にいた。当然、不干渉地帯へは侵入してはいないのである。
 
 望楼の監視兵は、低い柵に近づき蹲った彼をよく確認もせずに、“脱柵逃亡中”として、無造作・冷酷・無残にも、マンドリン型連発小銃を発射したのである。
 
 何発発射されたかは知らぬが、彼に命中したのは二発と聞く。一発は軍外套の腰についている短剣吊り用帯革のフック金具に命中、弾はフック金具に挟まっていたそうな、他の一発が致命傷となった。
 
 無念、祈る冥福。
 
 
つづく