兵隊・抑留記(81)  K氏の銃殺事件真相(1) | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(81)  K氏の銃殺事件真相(1)

 
抑留後期 - その2
 
 
 隊戦友会名簿 5/5頁 0414に、「I隊員・K(福岡県鞍手郡 昭和21年2月17日没 栄養失調)」とあるが、事実は不法にもソ聯兵により、彼は『銃殺』されたのである。
 

 

 《追憶ブカチャチャ - シベリヤ日記 守谷勝吉著 昭和53年9月30日発行 28頁~より抜粋》


 収容所のおける最初の犠牲者は、ソ連の監視兵によって銃殺された。表面的には逃亡を企て、見張りのソ連兵により銃殺されたことになっている。                         
 
 銃声に気が付かず、夕食までの一ときを部屋でくつろいでいたとき、本部の書記が真っ青な顔をして飛び込んで来た。          
 
 「兵隊がソ連兵に撃たれました。炊事のわきです。」
 
 とりあえず現場へ私も急行した。まだ夜には間もあるのに、11月入ると日の暮れるのが急に早くなり、辺りはもううす暗くなっていた。
 
 私が現場に着いたときは、医務室から担架が運ばれ、血に染まった兵を乗せようとしていた。ソ連の将校も2名ほど来て、青い顔をした若い監視兵が、彼等に対し事情を説明していた。
 
 現場は柵(外柵)に沿って建てられた便所の裏だ。既に来ていたI中尉は興奮した口調で、        
 

 「隊の者だ。こんな馬鹿なことがあるか。」と言い捨てて、医務室の方へ負傷兵の後を追うように付いて行った。その兵は、哀れにも医務室でその日のうちに息を引き取った。「朝から下痢気味で、作業も休んでいた者が逃亡しようなど、考えられんことだ。」

 

 不幸にも死んだ兵に対し、I隊全員で整列し、葬ってやれたのがせめてもの慰めであった。
 

 
 

 

つづく