兵隊・抑留記(80)  アクチブの吊し上げ | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(80)  アクチブの吊し上げ

 
抑留後期 - その1
 
 
 一部将校を除き大方の将校が収容所を去った〔1947年(昭和22)秋頃(?)〕、新たなる収容所管理者としてシベリア・チタの日本人学校(共産党教育)を受講した連中[アクチブ]が乗り込んで来てから次第に政治的圧力(無論、ソ聯をバックにした)が加わってきたのである。
 
 このあたりから〔抑留後期・(1947秋過ぎ~復員まで)〕と位置づけられる。
 
 連中は何か権力を誇示するものはないかと、暫く様子を伺っていたが、格好の相手として、N教授を選んだのである。
 
 [アクチブ]の『日清・日露戦争は侵略戦争であった』に対し、N教授は「侵略戦争ではない」と真っ向から反論したのである。
 
 このため「教授」は「軍国主義者で天皇制を擁護する反動分子」ということになり吊し上げられ、「かかる反動と口を利く者は反動である」と、分かったような分からん理由をつけて彼を『村八分』にしたのである。
 
 「アクチブ」というソ聯をバックにした「労働貴族」・「狂人集団」は、収容所という閉鎖された空間内で、言論の自由を奪い、ソ同盟を謳歌したのである。
 
 密かにN教授と連絡をとった我々グループに対して、「教授」は言う。「自分(N)には近寄るな」「無用な摩擦は避けよう」と言い、泰然とされていたのを思い出す。
 

 

つづく