兵隊・抑留記(75)  芸は身を助く | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(75)  芸は身を助く

 
抑留中期 - その6
 
 
☆ 鉱山管理局をお払い箱になった“俺”は穴(炭坑)に逆戻りかとも思ったが、ソ聯側に『建築技術屋』として知られるところとなり、N准尉(I隊・静岡県)の指揮する「建築作業班」に配属された。補佐役(?)として、「共同住宅」の建設など、昼間の勤務であった。
 
 『芸は身を助く』というところである。
 
 〔抑留中期・(1946春過ぎ~47年秋頃まで)〕
 抑留初期(1945冬~46年春まで)〕苛酷な環境下あまりにも多くの戦友を失う地獄の期間を過ごした経験を生かして、床屋・浴場(トルコ風呂)食堂・衣服の洗濯室・衣服の熱気消毒室(虱退治)等が整備され・所内の空地を利用して馬鈴薯・キャベツ等を栽培した。
 
 政治色に染まってない素人演芸が行われたりした。
 
 兵舎の内壁は石灰の白に塗り替え、壁には『壁新聞』が貼られたりした。
 
 『床屋』には「ペペルモコ(望郷)」主演・ジャンギャバンの顔入りポスターがあり、よく見ると上に次週上映とあった。但し、いつ行っても次週上映か近日上映であった。食堂を建設したことにより、食べ物を兵舎内に持ち込まなくなったので、蠅の発生も少なく、兵舎内の衛生状態は格段と改良されたのである。
 
 したがって、この期間について、どこかで書いたと思うが、精神的にも肉体的にも、比較的安定した期間と位置づけられる。
 
 
つづく