兵隊・抑留記(55)  収容所の整備 - 支柱も釘もない | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(55)  収容所の整備 - 支柱も釘もない

 
抑留 - その5
 
 
☆ 炭坑町・ブカチャチャの収容所は第二分所と称した。
 
 最初の作業は外柵の設置・直ぐそこまで来ている“冬”に備えて兵舎内のペチカ(暖房)築造・2段ベッドの設置等である。第2中隊(T中隊)へ転属していた“俺”は、古巣の第3中隊(I中隊)と一緒に外柵設置班に配属された。ソ聯側からの資材の支給は、有刺鉄線だけである。 
 
 その他木材・釘等の資材、金槌・鋸等の工具の支給はない。工具については、(独工○○は技能集団であり、大工は大工道具、左官は左官道具の鏝等を持参していた)なんとかなる。しかし、支柱と釘が無い。支柱となる丸太は夜陰に乗じて炭坑で使用される木材(坑木)を盗んで来いというのである。たまげた国だ。
 
 釘は再度交渉した結果、ようやく鉄線(8~6番線位)を確保できた、これを鏨(たがね)で切り、股釘(U字形に折れ曲がった釘)を一個一個作ったのである。
 
 外柵は収容所を四角に仕切り、四隅と正門の脇、計5ヵ所、監視用望楼を設置した。
 
 兵舎(バラック)は東西に長く、且つ中央廊下、出入り口は、前室付きの二重扉であり、東西に夫々1ヵ所あった。中央廊下の両側は二段寝台でびっしりと埋まり、急造のため、寝台の柱は皮付き丸太であった。
 
 ペチカは東西の出入り口近くに夫々設置された。流石、これだけの大集団の中には“ペチカの築造技術者”は居るものである。彼の指導により次々と効率のよいペチカが築造されていった。
 
 外壁は柱(30cm角位)の両面厚板打ちつけ、防寒のため間に石炭殻(石炭の燃え殻)と大鋸屑(おがくず)を混ぜたものを詰めてあった。
 
 
 
つづく
 
 

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ブログ管理人から

 

父は昔からカメラ好きで、今ではフィルムカメラよりデジカメを愛用しています。

知り合いの子供たちが遊びにくると、デジカメで撮影してフォト専用プリンタで印刷して渡しています。

 

撮影したデータは私が一括して保管しています。

ふと見たら、どこかのたぶんお寺の池の写真があったので表紙にしてみました。