兵隊・抑留記(53) 豚の背中を歩く - ツンドラ地帯
抑留 - その3
《皇国の繁栄》という大いなる目的をもって、一身を捧げ《戦争》してきた部隊(集団)が、敗戦という未曾有の事件に巻き込まれ、どうしたらいいのか分からぬまま、単なる烏合の集と化せば、推移次第では、集団の無法化は時間の問題と考えたのである。これは大変だ‥‥。
先ず、無用な摩擦を避け、部隊全員無傷で帰国することを願おう。
次に、抑留中の、鬱々たる憂悶を遣るよすがとして《趣味》《演芸》《娯楽》等がいい。と、“俺”なりに考えたのである。
そこで“俺”もこの際、全く知らない《囲碁》を覚えようと決めたのである。
後に、碁盤・将棋盤等の作成にあたっては、《建築設計資料集成》に拠るところ大であった。
9月の下旬、一千名を越す集成第○○大隊は、延々と続く有蓋貨車に分乗し、新京駅を出発・北上。ソ満国境、黒龍江(アムール河)河畔の街《黒河》で下車した。列車の終点である。対岸の町はブラゴエチェンスクという。
噂にあった、国境付近の“トーチカ”などの撤去・解体などの作業に入る気配はなかった。 一部の兵力は、黒河に残されたようだが、主力は対岸、ソ連領内へと連行されたのである。
渡河には、船体の両舷側に夫々大きな水車が付いた初めて見る汽船(この大きな水車を回転させて推進する)が使われた。愈々、ソ聯入りである。入ソ第一日は、ブラゴエチェンスク郊外に野営する。
この地は、満洲とは打って変わり、付近には草と枯れかけた小灌木しか生えていない。樹木らしい樹木は見当たらなかった。地面は、豚の背中を歩くようにブルブルと不気味に動く。ツンドラ地帯・不毛の地とはこのことか。
食事については、新京出発の時に携行した糧秣(高粱)の炊き出しである。主食や薪などについて特にソ聯側からの支給は無かった。5ガロン缶に手持ちの高粱を入れ、高粱粥の炊き出しだ。
さて、わずかに生えている小灌木を燃料とするが、湿っていてなかなか火がつかない。思案のあげく《碁の本》を焚き付けにしてしまった。折角ここまで持参したのにと、残念だったが致しかたない。
つづく