兵隊・抑留記(50)  消えた伍長 | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(50)  消えた伍長

 
敗戦 - その6
 
 
 夕食後、薄暗くなってから、現地召集の古年兵・M上等兵が“俺”の所に来た。《分隊長、どうしても汽車が見たい。機関車・レール・新京駅の雰囲気等に接すれば安心して帰隊する。これは肌身離さず持っていた女房・子供の写真だ。帰隊するまで預かっていてくれ‥‥‥》と、汗の染みた写真を差し出すではないか。こいつは《逃亡》だなと、直感した。《貴様の女房・子供の写真を“俺”が持っててもしょうがない。貴様が持っていてこそ価値がある‥‥》と、彼の手に戻し、《行ってこい、駅でも、何処でも、貴様の気の済むまで‥‥》と、言ったら、彼は《分隊長!そこまで信用されたら逃げられない‥‥》と、急に泣きだした。
 
 関東軍司令部の少佐のピストルによる自決を聞いたのはこの頃だったろう。
 
 もう一つ、天津教育隊第八内務班長だったH伍長(ポッダム軍曹)の風聞は、(新京まで一緒だったことは分かっている)この辺りからプッツンと途絶えている。目先の利く彼のことだから、病気で入院?,逃亡?,いずれにしても判然としない。
 
 8月14日付で全員一階級進級した。いわゆるポッダム進級である。
 
 “俺”も《曹長》に進級した。戦争が終わったというのに召集以来携行してきた《三八式歩兵銃》を返納し、代わりに軍刀を支給されたといって喜んでいるのだから他愛ない。
 
 新京の治安は日一日と悪くなったて行くようだ。爆竹の音に混ざり銃声が聞こえる。不測の事態に備えて、駐屯地(関東軍司令部)周辺の警戒を厳重にする。
 
 
 
 つづく