兵隊・抑留記(48) 玉音放送
敗戦 - その4
15日明け方、一旦、帰営〔関東軍司令部(跡)〕す。仮眠、午後の作業に備えて、早昼を済ませた。正午に玉音放送あり。
正午に中隊全員整列し玉音放送を聞く。ラジオの音声はウエーブし、それに雑音が入るので、“俺”には何を言っているのか皆目分からない。
分からなかったのは“俺”だけでは無かったようだ。I中隊長も勘違いされていたようだ。
《陛下の玉音を拝し、一意専心陛下の御心に沿うべく‥‥》 とか何とか、兎に角、午後《道路遮断》作業に取りかかるため出動した。
“俺”の分隊は、道路遮断用鹿砦(ろくさい)の材料(鉄道の枕木)調達のため、新京駅構内施設部を訪れ枕木の支給を申し入れたところ、施設部の年配の人が、《兵隊さん戦争は終わったよ。枕木なんか持って行っても何もならん。嘘だと思うなら13時に再放送があるから聞いてみなさい》と、涙をポロポロこぼして取り合ってくれない。
施設部事務所で再放送を聞くが、終わったようでもあるが終わっていないようにも聞こえる。
半信半疑のまま中隊に戻った。他の分隊も続々戻ってくるところだった。
そうこうするうち新聞『東亜新報(?)』の号外が配られ、その活字を見て敗戦を確認した。日本は負けたのである。戦争に敗れたのである。
ソ聯軍・重戦車の侵攻を防ぐには、初年兵教育班長として、先ず活模範を示さねばならない。「い」の一番に爆薬を抱えて戦車に体当たりをするのはこの“俺”だと決めていただけに、“俺”は心底ホッとしたことを覚えている。
つづく
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ブログ管理人から
鹿砦とは、敵が侵入するのを防止するため、先端をとがらせた木や竹を鹿のツノのように並べたバリケード。