兵隊・抑留記(43) P15来襲~落下傘爆弾
初年兵教育 - その5
1945年(昭和20年)晩春、許昌の南の「南陽」から更に南へ約2Km行ったところの「臥竜崗」まで進出した。
我々工兵隊は、南陽市内に入らず、迂回して「臥竜崗」に入る。ここに駐屯して、「南陽~臥竜崗」間の主として道路周辺の地雷撤去作業を行なう。
「臥竜崗」は『三国志』に「劉備」が「諸葛孔明」を軍師として迎えるべく《三顧の礼》を尽くしたという故事のあるところである。この丘には大小の石碑が林立し、〔流石、『三国志』だけのことはある〕と、感じたものである。
地雷撤去中、畑で働く農民が地雷に触れ、爆死したりする。そんな中、敵機(P51)一機の来襲だ。無防備の我々を発見し、超低空で迫ってくる。地雷未探査の道路側溝に飛び込んだ。操縦室から身を乗り出すようにしている敵の顔がハッキリ見えた。機銃の掃射なし。大きく旋回して2回目、今度は一発ずつ、“落下傘爆弾”と“大型で銀色に光る爆弾?”の御見舞だ。これはお陀仏か、と、思った瞬間、落下傘爆弾は、不発であり、“大型で?”は風船のように空中を泳ぎながら落ちてくるではないか。燃料の補助タンクだった。 ホッ!
又、未探査の側溝内にも地雷なく犠牲者なし。
「臥竜崗」からは、「南郷」「老河口」などの敵爆撃機《B29》の基地までさほど遠くない位置にあった。
落下傘は初めて見る《ナイロン》製、中央に穴があり爆弾が真っ直ぐ落ちるよう工夫してあった(低空爆撃用)。補助タンクは《ジュラルミン》製、航空燃料一升瓶2本分。これが《戦果?》である。
つづく