兵隊・抑留記(41) 憲兵に始末書
初年兵教育 - その3
さて、この時代については、どんな教育をしたのか、特別記憶に残るような事柄はない。
兎に角、他の連中よりは土地勘があったので、ずっこけた話ならある。
・ 当時、工兵の作業訓練では“白作業衣(袴)”を着用していた。ある日
小隊長の居ないことをいいことにして、“俺”は分隊の隊員を引き連れて
白作業衣着用のまま、日本租界・天津神社まで駆け足行進、参拝。天津神
社の裏手にあった現地国防婦人会主催の「おばさんの家」に立ち寄り(汁
粉餅)の接待をうけさせる。
つぎに、租界内にある映画館(浪花館)に立ち寄り、館長に交渉して、
一幕只で映画を鑑賞して、何食わぬ顔をして帰隊した。
・ 初年兵教育の終わり頃だったと思う。週番下士官として勤務していたあ
る日の午後、I第3班長より“これより外出(隊長に無断)する。した
がって、夜の点呼をよろしく、明朝早く帰隊する。”との伝言だ。
時の週番士官はO准尉であった。第3班の夜の点呼はなんとか誤魔化
した。何事もなく消灯時間も過ぎた。一応、各内務班など見回りが終わっ
て、さて、寝ようかという頃、時間でいえば、11時過ぎだったろう。
O准尉に呼ばれた。“Iが憲兵隊に保護されている。引き取ってこい”と。
“俺”は直ちに兵2名を率い憲兵隊に向かった。いくら治安が良いと
いってもここは北支那・天津の真夜中である。用心のため小銃に弾丸を
込め、安全装置をする。
Iの奴、酒を飲んで女性と一緒に居るところを憲兵の臨検に引っか
かったのである。
憲兵隊では、当のIはすっかりいい気持ちで出来上がっており、どう
にもならない。結局、素面(しらふ)の“俺”が 始末書を書いて、
放免となった。
つづく