制空権 | SAPPERの兵隊・抑留記

制空権

 
 黄河の鉄道橋を夜中に渡ったのが1944年5月“覇王城”-“氾水”を抜き“コロウカン”を制圧したところで米戦闘機P51の銃撃を受けたがその後は 敵機の襲来はなかった
 
 制空権は未だ我が方にあり 昼間の移動運行は自由に出来 ガソリンもあった その年の秋 米空軍は着々と“老河口”と“ナンゴウ”(古い地図で捜すがナンゴウは未だ見つからない)に飛行基地整備しB29(長距離重爆撃機)発着を可能にしつつあった
 
 44年秋 “寨子街”南方の山岳地帯で陣地構築のため測量などしていた頃 朝 爆音空いっぱいに銀翼連ねたB29の編隊数組 次々と飛行機雲を残し東北方向へ飛んで行く
 
 高度8000メ-トル位か‥‥ (飛行機雲なんて始めて見た) 何日か過ぎて前線に送られてくる新聞に 北九州爆撃などの記事があったりするようになった 
 
 44年11月には 黄河の鉄道橋はB29の爆撃により橋の中央付近で1スパン崩落 制空権は徐々に敵方に移りつつあった
 
 翌年(1945年)春になると制空権は完全に敵軍の手に渡り 昼間の行動は制限され 部隊の移動は専ら夜間となったのである P51など執拗に飛んでくるようになった              
 
                       2008.1.18 記