兵隊・抑留記(37) 天ぷらで食あたり
独立工兵聯隊 Ⅱ - その6
こんなことがあってから、間もなくだったと思う。臨汝鎮での陣地構築作業を完了し洛陽への転進命令と一緒に《●●●軍曹・広瀬伍長は初年兵受領要員を命ず‥‥‥》とあった。10月下旬のことだった。
臨汝鎮――竜門――洛陽まで中隊主力と行動を共にした。洛陽では他中隊の初年兵受領要員と一緒になり(6~7名?)、或いは、同時発令になった“遺骨宰領”組も一緒ではなかったか。洛陽を出発したのが11月3日であった。
洛陽――東十里舗――白馬寺――黒石関へはトラックに便乗した。黒石関には第2中隊(?)が駐屯しており、一泊。夕食のテンプラは(桐油(きりあぶら)?)の混ざった油で揚げたのか全員、嘔吐・腹痛・下痢等にかかったが、もともと油類はあまり好まず少ししか食べていない“俺”は一回の嘔吐と一回の腹下しで済み案外と軽かったのを覚えている。
次の日、黒石関より陸路、コロウカンの山越えする便がなく、洛水を氾水まで舟で下る。氾水からは他部隊の輸送トラックに便乗、鄭州経由(?)黄河南岸に到着したのが夕方近くだったろう。
黄河南岸・北岸に架かる鉄橋は、敵・B29の爆撃により橋の中央付近が爆破されていた。
鉄道工兵旅団(旅団長 K少将閣下)が、橋の修復・応急処置・維持管理並びに警備等に当たっていた。
旅団長・K少将閣下は“俺”の現役時代の聯隊長だ。聯隊長時代の、気さくな好好爺然とした、K少将(聯隊長時代大佐)を思い浮かべ、渡河の交渉は“俺”が引き受けることにした。
早速、表敬訪問するべく副官を通じ面会を申し入れたところ、快く許された。
無論、閣下が工兵聯隊長時代の初年兵・乙幹だった“俺”なんかいちいち覚えているわけはないとは思ったが、《現所属、独立工兵何々聯隊であり、工兵何々聯隊出身であること、初年兵受領で日本に行くこと‥‥‥》等手短に話をしたところ、ひとつひとつ頷きながら懐かしそうに目を細め、昔の部下の用件を聞いてくれたのである。
《よく訪ねてくれた、頑張るように‥‥》。と、激励され、尚、副官に《今日の便はあるか‥‥‥対岸の便は?‥‥‥》等々、渡河の便宜を図ってもらった。早速、出発である。
つづく