兵隊・抑留記(35) 寨子街(さいしがい)事件 小隊長 痔に救われる
独立工兵聯隊 Ⅱ - その4
《8月中旬頃、第110師団歩兵139聯隊、陣地構築のため
七里河を出発す。8月25日寨子街(洛陽南西65Km)事件
(歩兵139聯隊第3大隊幹部の暗殺事件を知る。K小隊長
難を免れる)。9月上旬~中旬第139聯隊陣地構築作業を
終わり洛陽に帰る。》 ―― (戦友S氏 資料)
蝗(いなご)の大群に羽が生え、高粱畑を丸坊主にした頃、七里河をあとに南下する。ひたすら行軍である。途中、磨崖仏で有名な《竜門》を通過する。休憩時間に石窟群のほんの一部であるが散見する。硬質な石窟に磨崖仏が整然とならんでいる。見事である。
竜門石窟群の脇の川は清流であった。幅(100~200m位)はあったか。対岸の建物は蒋介石の別荘だったそうだ。近くの橋は爆破され橋脚を残すのみである。
第3小隊(K)は中隊主力と一時別れ、歩兵139聯隊第3大隊を支援して行動していた。
このとき、《寨子街事件》は起きたのである。
洛陽南西65Kmの部落・寨子街(さいしがい )に進駐した歩兵聯隊の幹部に対し、部落の村長からの接待の知らせがあり、幹部連中は一部当番兵を連れて会場に赴いた。幹部の多くは会場入口で武器(軍刀・ピストル等)を当番兵に預けて入場した。当然、武器を持った当番兵は別室待機である。
宴たけなわとなり、アルコールも回った頃、突然、接待組の村長等は隠し持っていたピストルを乱射、多くの幹部が射殺されたのである。ピストルを手放さなかった一部幹部が直ちに応戦、銃声を聞いた当番兵が駆けつけた時は、村長などに扮装したゲリラ共の逃げた後だった。急遽、ここを脱出、駐屯地へ急変を伝えた。
この時、わがK小隊は寨子街の隣の部落に駐屯していた。招待状は、K小隊長にもあったのだが、小隊長は持病として長らく痔を患っており、当日も調子が悪く欠席し、危うく難を逃れたのであった。(痔が命を救った話である)
我々が事件を知ったのは、夜も大分更けた頃だったと思う。非常呼集、真っ暗闇の中、いつでも出動できるよう待機、厳戒体制に入る。
歩兵聯隊では直ちに出動、部落内を掃討したが、村長始め部落民全員逃走後であり、一人も捕まらなかったという。
つづく