兵隊・抑留記(27)  ロバと司令部を追いかける | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(27)  ロバと司令部を追いかける

独立工兵聯隊 Ⅰ - その2
 
 
 
 “俺”の分隊は天津を出発したときの編成が15名だったが、洛陽攻撃が近づくにつれて、一人二人と脱落し、遂に“俺”以下兵7名プラス現地徴用の支那人1名(牛・ロバ係)となってしまった。この残った兵7名は、現役兵(3年兵、2年兵)であり、よくこの“俺”をサポートしてくれたと、今でも感謝している。
 
 この時点で、脱落者に戦死・戦傷者なし、下痢、腹痛、歩行困難‥‥‥等々。大半が仮病と見た。その後、洛陽攻略が済み、一段落し、ある程度命に別状なしと分かってから、のこのこ全員復帰してきたのだからあきれてしまう。これらの兵隊の殆どは、海千、山千の現地召集者であった。
 
 小隊の器材をロバ3頭、牛車1台、に積載できるよう仕分けして、移動に備える。A曹長の命令待ちである。
 
 近くに露営していた他部隊が、どんどん出発して居なくなってしまった。
 
 ところが、命令受領に行ったA曹長が戻らぬことには行動できない。
 
 むなしく過ぎる時間にしびれを切らし、十分位離れた旅団司令部へ、駆け足で様子見だ。司令部は一部後方連絡者を残し、主力は出発した後であった。どさくさの中にようやくA曹長を発見。のんびりとした口調で曰く、《Aはここに残ることになった。●●●分隊は、直ちに司令部を追尾せよ》と、“俺”は曹長を怒鳴りつけた。“馬鹿野郎! なんで早く知らせんのだ”。
 
 こんな野郎といつまでも付き合っては居られない。急ぎ分隊に戻り、出発せねばならない。
 
 器材のうち牛車の分は積載固定しておけるが、ロバの背に載せる荷は出発間際につけないとロバが疲労する。ロバへの装着時間がいたずらに長く感じられる。それに加えて軍馬2頭(小隊長・小隊付曹長用)K分隊長は小銃まで置いていってしまったのだから始末が悪い。
 
 器材の積載を完了し、かれこれ1時間遅れて、司令部を追尾した。
 
 1時間遅れの追尾は大変である。先ず、旅団司令部の行き先がわからない。
 
 そこで、最後尾部隊を捜すことにした。2頭の軍馬を走らせ偵察させる。ようやく、発見、追尾するが、器材搬送の牛とロバはいくら急がしてもロバや牛のペースである。遅々として進まない。
 
 先頭と最後尾はだんだん開らいて1Km以上にもなったろう、遂に最後尾部隊を見失ってしまった。無論、地図も磁石もない、その上、困ったことに洛陽方向も分からない。
 
 さて、どうするか、と、付近を偵察したところ、通信隊付設の後方連絡用通信線(黄色)を発見した。《これは司令部に通じている》救いである。伸びきった分隊をまとめて、牛やロバのペースで前進した。
 
 
 
つづく