兵隊・抑留記(26)  寺に張り紙 | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(26)  寺に張り紙

独立工兵聯隊 Ⅰ - その1
 
 
☆ 第3小隊(K小隊)は中隊主力とは合流せず、Y兵団の司令部と行動を共にした。
 
 黒石関と東十里舗との間に〔白馬寺(日本の高僧・弘法大師が学んだという由緒ある寺)〕がある。

 

白馬寺1

 

 寺の一廓は黒色の煉瓦塀で仕切られており、入口はアーチ型である。中は塀に沿って左右に回廊、正面の本堂は白木造り。と、簡素ではあるが歴史を感じさせられる佇(たたず)まいだ。

 

白馬寺2
 
 寺の扉に《昔、日本の高僧が学んだ由緒ある寺である。寺を荒らさぬように‥‥一将校より》の張り紙があった。中々粋な将校ではある。

 

白馬寺3
 
  
 河南(洛陽)から5~6Km手前の東十里舗付近まで進軍したとき、命令変更があり、2~3Km戻ったところから、左へ、洛陽を右に見て時計回りに、左へ大きく迂回する。途中、洛水(黒石関の上流)を2回徒渉する。軍靴を脱ぎ裸足だ。最初は、深いところで膝位か。転ばぬよう注意して行く。2回目は浅く20cm位か、この辺りは水も澄み、清流というところか。飛行場(草ぼうぼうの只の原っぱ)を突っ切る。尚も迂回する。露営地は洛陽の北又は北東4~5Km位のところだったろう。時は5月22日夕方、洛陽攻撃開始の前々日であった。(洛陽攻撃開始24日13時)
 
 これまでのところ、K小隊長の指揮のもと、第3小隊の一員として行動してきた第1分隊(●●●分隊)は、二十三日早朝、K小隊長より《旅団命により、●●●分隊は、Y旅団司令部(旅団長Y少将閣下)に直属し、小隊の器材をまとめ追尾せよ、司令部の行動など、子細はA曹長の指示による》との命令を受けた。
 
 “俺”は、命令を受けた瞬間、《工兵一個分隊切り離して以後何をさせようとしているのか、中隊より一個小隊切り離されただけでも機能が束縛され、器材の調達もままならず十分な力を発揮しにくい。これではこま切れである。戦力低下は免れまい。それに、小隊長も小隊長だ。小隊器材も携行せずこれから何をしょうとして居るのか》との疑問を抱いたが、命令は命令である。
 
 K小隊長は他の分隊を引き連れてさっさと出発してしまった。

 

 

 

つづく