兵隊・抑留記(25) 傾いた橋を支える
召集 独立工兵聯隊 - その8
4月20日覇王城攻撃開始から、進軍して黒石関に着いたのが5月5日頃であったろう。最初は、単舟《折り畳み舟》に歩兵を乗せ対岸に渡す。単舟では運べない馬匹・歩兵砲などについては、門橋舟(折り畳み舟を3艘横に並べて上に板を敷く)で運搬だ。朝、6時から翌朝8時過ぎまで、食事は食べながら26時間休み無しであった。
遂に、操舟機は冷却水用ポンプ弁の磨耗により、一斉にダウンしてしまった。補充弁が届かず、旅団の参謀が飛んできて怒鳴るがどうしょうもない。
さて、今度は舟橋(鉄舟を横に並べて上に板を敷く)[鉄舟の不足分は民船を徴収]を架設する。作業中も友軍が通過する。そうこうするうち、左岸近くの鉄舟(舳先・艫・中央と三つに分解できる。全長6m位?)一艘の組み立て用掛け金(連結部分に上下2個、計8個)下部1個が破損、連結部で大きく開き、浮力の減少により橋の甲板が傾むいてしまった。“俺”は河に入り橋桁を担ぎ支えた(岸に近く深さ胸位だったのが幸いした)。友軍を通行させながらの応急補修をやったことを覚えている。
《5月5日頃黒石関に至り渡河作業につく。(独歩九旅団の指揮を離れる)
民船による応用架橋を構築する。
5月12~13日頃、洛陽東十里舗に在り、S中隊主力は黒石関軍橋が
降雨増水による流失危機のため黒石関に向かう。第一小隊(U小隊)は東
十里舗の敵陣偵察並びに地雷除去作業に任ず。
5月16日頃Y旅団(歩兵67旅団)A大隊(歩兵66旅団第137
大隊)に配属され、5月18日夜上清宮攻撃に参加、N軍曹以下3名
翌日19日正午頃戦死外負傷者若干名を出す。
5月23日払暁、上清宮攻略占拠、S中隊主力と合流す》
(戦友S氏資料より)
黒石関の舟橋は段々と補強整備されてきた頃、黒石関を離れる。 黒石関と東十里舗の間はその後も何回か往復している。記憶がはっきりしないが、第3(K)小隊(“俺”が所属する小隊)は、橋梁補修・監視・警備にため黒石関に残されたこともあったのではなかったか。
S氏資料にある、〔上清宮〕とは、東十里舗の近辺だとは分かるが“俺”の記憶から完全に欠落している。又この時点でS中隊主力と合流とあるが、K小隊は別行動だったと思う。
つづく