兵隊・抑留記(24) コロウカン制圧
召集 独立工兵聯隊 - その7
☆ 《最近世界地圖・三省堂・昭和10年1月20日修正6版発行》によれば河南とは(洛陽)のことである。その河南(洛陽)へ向かって進軍である。
氾水から黒石関に至る途中に低い山が連なる。この辺りを《コロウカン》という。その一つの山の頂きが歩兵の最前線であった。谷を挟んだ向うの山々は何重にも鉢巻きをしたよう、段々畑が見える。敵は上半身裸で盛んに塹壕(ざんごう)を掘っているのが肉眼にはっきりと捉えられる。所々に点々とトーチカの銃眼が黒く点々と見える。直線距離で100か150m位か。案外近くだ。
ここに、野砲聯隊より観測用掩体(えんたい)の要求があった。作成命令は第3小隊に下った。“俺”は観測用掩体の詳細を諳(そらん)じていたので、掩体本体は俺の分隊が引き受けた。出番である。他分隊は掩体に至る蛇行塹壕の掘削作業である。
夕方より匍匐(ほふく=這うこと)して山頂に出る。姿勢を低くして位置を決め、最初は敵に発見されぬよう寝たままの掘削だ。それは、掩体上蓋に穴を明け、そこから《角型(つのがた)双眼鏡》を突き出し、観測が終わると引っ込めるという、潜水艦の潜望鏡式の掩体である。
夜、作業中、彼我入り乱れて、銃声(パンパン)、弾道音(遠いとチィー・近いとタッ)、迫撃砲(ポワッ‥‥シュルシュル‥‥バッカァーン)味方の重機関銃(ドッドッドッ)と、周囲の山々にこだまし一大交響楽である。
一夜明けて聞くところによると、夜襲を仕掛けた歩兵一個小隊が全滅したと聞く。
未明に観測用掩体とそこに至る蛇行した塹壕を完成し、野砲隊に引き渡した。野砲隊の少佐から、泥だらけの“俺達”に対し《これは、いいものを作ってくれた》と、感謝されたのを覚えている。
歩兵は、夜明けと共に攻撃開始、野砲の援護をうけ《コロウカン》を制圧した。後から我々工兵も進軍である。
《コロウカン》山中を抜けて、洛水(河)の右岸にたどり着く。対岸(左岸)は黒石関という部落だ。暫時、休憩である。そこに、突如山陰から現れた敵戦闘機《P51》一機から機銃掃射の洗礼を受けた。不意をくらった我々は土手に張り付いたままなす術なし。幸い死傷者・損害等無し。
つづく