兵隊・抑留記(18)  “俺”が狩り出されるようじゃ | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(18)  “俺”が狩り出されるようじゃ

召集  独立工兵聯隊 - その1
 
 
 
☆ 1943年(昭18)12月28日編成過剰人員として、千葉県・柏の近衛工兵聯隊補充隊(東部14部隊)を除隊した“俺”は、娑婆の空気を吸ったのは2ヵ月半強。翌1944年(昭19)3月15日(東部14部隊)に再度召集となった。体のいい慰労休暇というところか、又々のご奉公である。
 
 召集仲間を見渡すが知った顔は見当たらない。同じ除隊組の中では、“俺”が一番早い召集だったように思う。「まさか、こんなにも早く!」「“俺”が狩り出されるようじゃ、日本も危ないかな」と、当時の実感である。
 
 まだ薄ら寒い3月だというのに、新品の夏服が支給された。「これは、南方戦線かな」と思う。付添いの家族に娑婆の衣服を渡して、面会が終わる。と今度は夏服を脱ぎ捨て、除隊の際着用してきた同年兵の名前の入った冬服に衣替えである。これは企図秘匿のためか。
 
 3月28日九州・博多港出帆、釜山上陸、これより陸路→安東→山海関を通過、現役時代を過ごした思い出の地、天津の北站・北洋営に到着したのが4月2日であった。
 
 4月3日独立工兵××聯隊第3中隊第3小隊に編入・配属となった。
 
 独立工兵聯隊(仁部隊)はこの年の3月15日、新たに編成されたばかりである。《在天津・北支那方面軍工兵下士官候補者隊を閉鎖・在北支軍よりの転属・現地召集者・内地よりの召集者の混成により編成された。したがって、下士候隊隊長・教官は夫々聯隊長・中隊長に横滑りである》。
 
 聯隊長・T少佐、第3中隊長・T中尉、第3小隊長・K少尉、小隊付き・A曹長、“俺”は第3小隊の第1分隊長であった。
 
 小隊は4個分隊編成。一個分隊は分隊長以下15名編成である。
 
 K小隊長は大正10年代頃の一年志願の将校という年配者だった。
 
 
 
 
 
つづく