兵隊・抑留記(17)  英霊T伍長に敬礼 | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(17)  英霊T伍長に敬礼

陸軍軍曹満洲除隊 - 後編
 
 
 駐屯地は海岸に近く、河口付近の湿地帯は一面、葦(あし)の草原であった。
 
 この葦を原料として、邦人経営のパルプ工場があった。
 
 この辺りは干潮・満潮の差が激しく、3m近くはあったのではないか。 演習はこの河口地帯で架橋・湿地帯通過訓練である。満潮の時は架柱橋・舟橋など、もっぱら架橋訓練である。干潮時は湿地帯通過訓練である。湿地は底無し沼状で、ずるずると入ってしまう。太股まで入ったら一人では脱出できない。葦を炭俵状に編んでくるくると丸めておき、それを湿地帯に敷く、その上を渡るのである。
 
 最初は葦の位置がはっきり分かるが、だんだん沈んできて葦の位置が分かりにくくなってくる。はずしたら前記のように引き出すのにひと苦労である。
 
 兵舎から半里(2km)位の河口付近に野営し、テント生活である。
 
 近くに邦人パルプ工場の社宅・寮があり、演習中時々、娑婆(しゃば)の匂いの濃厚な風呂に入れてもらったことがある。《兵隊が入浴した後は汚くて掃除が大変》と言われぬよう娑婆の匂いが消えるほど掃除をしたの覚えている。
 
 夏、腸チフスで入院した内務班員T上等兵が亡くなった。病院や火葬場が何処だったか覚えていないが、一日目は病院から火葬場へ、二日目は火葬場で骨を骨壺に入れ、列車(南満洲鉄道)での帰営である。
 
 営口駅では聯隊(れんたい)長以下将兵に出迎えられ、《英霊に対して敬礼》を受けた。聯隊長に欠礼したのは初めてである。
 
 この年の秋、師団全体の総合演習があった。
 
 この演習の後であった。近く“俺”に《英霊T伍長》の遺骨宰領(さいりょう)として内地出張命令が出る、との噂が中隊事務室辺りから聞こえてきた。
 
 衛兵(司令)勤務を終えて内務班に戻って休んでいたところに、中隊長の呼び出しである。《貴様の遺骨宰領は取り止めになった。しかし、もっといいことがあるぞ》と言われた。《何を気休めに》“俺”はむくれた。内務班に戻って布団被って寝てしまった。
 
 ところが、何日かして《編成過剰人員として内地帰還》との命令をうけ、千葉県・柏の近衛工兵聯隊補充隊に帰還し、12月28日除隊となったのである。
 
 翌29日、共に除隊した同年兵のT君と二人で埼玉県・川越の故T伍長の実家を訪れ色々と報告し、喜多院だったと思う、お墓参りをした。
 
 
 
 
 
つづく