兵隊・抑留記(11) 生きて虜囚の辱めを受けず
軍隊内反乱 館陶(タテトウ)事件 - 前編
《この項を書くに当たり、当初、〔タテト事件〕と記憶していた。〔タテト〕とはどんな字を書くのか、場所は、発生年月等、分からぬままであった ところ、(1996年12月6日)戦友より〔館陶事件〕について『軍隊内反乱 小説 館陶事件 桑島節郎著(勁草書房 1990)』などのご教示を受けたので、事件の概要について記憶の補足、訂正を行った。》
☆ 盧溝僑(ろこうきょう)事件発生は1937年7月7日である。これが発端となって全面戦争《支那事変》へと突入していった。
“俺”が現役兵として入隊した1940年12月ともなると、戦陣も少しずつ倦(う)んできたのだろう。また“俺”を含めて兵隊の質もガタガタ落ちてきたのだと思う。
そこで、1941年1月、時の陸軍大臣東条英樹が全陸軍に布達したのが“戦陣訓”(戦場での心得要綱)であった。
当時の“俺”は、このような頭から押さえ込む式の修身教育に対して、俺自身のことはさておき《よくもこんなものこしらえて、兵隊の質も悪くなったものだ》と、思ったものだ。
戦陣訓は幹部候補生志願のころからよく読まされ、暗唱・暗記させられた。その中で、今でも覚えているのが一つある。
恥を知るものは強し、常に郷党家門の面目を思い
いよいよ奮励してその期待に答うべし
生きて虜囚の辱めを受けず
死して罪科の汚名を残すことなかれ
後に、ソ連・シベリヤに抑留され《生きて虜囚の辱め》を身をもって体験したのだから人生ままならず、皮肉なものではある。
つづく
《この項を書くに当たり、当初、〔タテト事件〕と記憶していた。〔タテト〕とはどんな字を書くのか、場所は、発生年月等、分からぬままであった ところ、(1996年12月6日)戦友より〔館陶事件〕について『軍隊内反乱 小説 館陶事件 桑島節郎著(勁草書房 1990)』などのご教示を受けたので、事件の概要について記憶の補足、訂正を行った。》
☆ 盧溝僑(ろこうきょう)事件発生は1937年7月7日である。これが発端となって全面戦争《支那事変》へと突入していった。
“俺”が現役兵として入隊した1940年12月ともなると、戦陣も少しずつ倦(う)んできたのだろう。また“俺”を含めて兵隊の質もガタガタ落ちてきたのだと思う。
そこで、1941年1月、時の陸軍大臣東条英樹が全陸軍に布達したのが“戦陣訓”(戦場での心得要綱)であった。
当時の“俺”は、このような頭から押さえ込む式の修身教育に対して、俺自身のことはさておき《よくもこんなものこしらえて、兵隊の質も悪くなったものだ》と、思ったものだ。
戦陣訓は幹部候補生志願のころからよく読まされ、暗唱・暗記させられた。その中で、今でも覚えているのが一つある。
恥を知るものは強し、常に郷党家門の面目を思い
いよいよ奮励してその期待に答うべし
生きて虜囚の辱めを受けず
死して罪科の汚名を残すことなかれ
後に、ソ連・シベリヤに抑留され《生きて虜囚の辱め》を身をもって体験したのだから人生ままならず、皮肉なものではある。
つづく