兵隊・抑留記(10) 英国の缶詰にびっくり
大東亜戦争
☆ 間もなく、12月8日大東亜戦争(第二次世界大戦)突入である。
わが、工兵聯隊(れんたい)にも直ちに出動命令があり、唐山(天津と山海関の間)にあるカイラン炭鉱(英国系)を抑え、唐山駅付近の鉄道とカイラン炭鉱の警備に従事した。
中隊指揮班に所属の“俺”は“命令受領”の為、図嚢(カバン)・ピストル・公用腕章を着用し、天津(聯隊本部)・唐山(中隊)間を鉄道を利用しての連絡係である。
さすが、英国系の炭鉱だ。接収した物品は豊富で、物珍しい。
先ず、絹布団の山である。部屋全体に五層にも六層にも布団を敷き、その中に潜り込んでも、尚、余る有様である。
別の梱包は液体入りの缶詰だ。横文字が缶に直接印刷されている。おぼつかない頭で何回読んでも“ビ-ル”である。
当時、缶に直接印刷する技術は日本には無かったのではないかと思う。又、それまで、“瓶詰のビ-ル”しか知らない“俺”は、“ビ-ルの缶詰”には驚きである。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
☆ 炭鉱付近の警備を他の部隊と交代して天津へ戻ってからは、中隊事務室勤務 に従事。主として、隊員名簿の整備、各隊員の戦時名簿への記録等、清書作業である。この際、ひたすら字を崩さず正確に書くことに専念した。
転属者名簿など、清書作業のときは、作成完了まで中隊長室に缶詰だ。
筆圧は強い方だったので、ガリ版切り(謄写版)、または、カ-ボン紙を入れた複写では、6部位なら十分見るに耐えるものを作成した。
しかし、兵科乙幹9名位の最後尾を走っていたことには変わりはない。
1942年(昭和17年)3月1日。軍曹になるか、伍長のままか、乙幹最後の進級当落日である。軍曹になったのは、席次8番「Ma」、15番「Km」そして14番の“俺”の3名だったと記憶している。
1942年8月31日現役満期、ようやく乙種幹部候補生の教育期間が完了したわけである。
9月1日陸軍軍曹・予備役編入・引き続き臨時召集により工兵聯隊に編入。
何のことはない。命令は8月31日の分を含めて9月1日に聞いた。満期はあっても除隊はない。一晩寝たら引き続き‥‥‥であった。
しかし、今日からは、晴れて座金なしの陸軍軍曹である。
つづく
☆ 間もなく、12月8日大東亜戦争(第二次世界大戦)突入である。
わが、工兵聯隊(れんたい)にも直ちに出動命令があり、唐山(天津と山海関の間)にあるカイラン炭鉱(英国系)を抑え、唐山駅付近の鉄道とカイラン炭鉱の警備に従事した。
中隊指揮班に所属の“俺”は“命令受領”の為、図嚢(カバン)・ピストル・公用腕章を着用し、天津(聯隊本部)・唐山(中隊)間を鉄道を利用しての連絡係である。
さすが、英国系の炭鉱だ。接収した物品は豊富で、物珍しい。
先ず、絹布団の山である。部屋全体に五層にも六層にも布団を敷き、その中に潜り込んでも、尚、余る有様である。
別の梱包は液体入りの缶詰だ。横文字が缶に直接印刷されている。おぼつかない頭で何回読んでも“ビ-ル”である。
当時、缶に直接印刷する技術は日本には無かったのではないかと思う。又、それまで、“瓶詰のビ-ル”しか知らない“俺”は、“ビ-ルの缶詰”には驚きである。
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☆ 炭鉱付近の警備を他の部隊と交代して天津へ戻ってからは、中隊事務室勤務 に従事。主として、隊員名簿の整備、各隊員の戦時名簿への記録等、清書作業である。この際、ひたすら字を崩さず正確に書くことに専念した。
転属者名簿など、清書作業のときは、作成完了まで中隊長室に缶詰だ。
筆圧は強い方だったので、ガリ版切り(謄写版)、または、カ-ボン紙を入れた複写では、6部位なら十分見るに耐えるものを作成した。
しかし、兵科乙幹9名位の最後尾を走っていたことには変わりはない。
1942年(昭和17年)3月1日。軍曹になるか、伍長のままか、乙幹最後の進級当落日である。軍曹になったのは、席次8番「Ma」、15番「Km」そして14番の“俺”の3名だったと記憶している。
1942年8月31日現役満期、ようやく乙種幹部候補生の教育期間が完了したわけである。
9月1日陸軍軍曹・予備役編入・引き続き臨時召集により工兵聯隊に編入。
何のことはない。命令は8月31日の分を含めて9月1日に聞いた。満期はあっても除隊はない。一晩寝たら引き続き‥‥‥であった。
しかし、今日からは、晴れて座金なしの陸軍軍曹である。
つづく