兵隊・抑留記(7) 八路軍の秘密トンネル爆破
討伐 - 後編
そんな、ある討伐での出来事である。
その日は昼間の行軍を早めに切り上げ夕食も済ませ、野営するばかりだった。夜になって、急に企図秘匿の移動である。その夜は鼻を抓まれてもわからない真の闇中の行軍であった。
敵は近い、敵も何かを感じ取ったのだろう、やたら、探りを入れてくる。いわゆる盲撃ちである。小銃の発射音に迫撃砲が混じる。
小銃弾は、“チーッ、チーッ”と小鳥が鳴いているように聞こえるいるうちは、まだ遠い。“タッ”障子紙を箸のようなもので突き破ったように聞こえてくると、これは危ない。至近距離である。
迫撃砲の方は、“ポワッ”発射音に続いて“シュル,シュル,シュル”やがて“バッカーン”。着弾が前方ならまだいい。味方の後方に落ちるようになると危険である。いわゆる、迫撃砲の射程距離内に入ったことになる。兎に角、狙ったところに着弾しない、何処に落ちるか分からないので始末が悪い。不気味である。
片側が崖地でありその下の道を通過中だった。行軍の前方で迫撃弾が炸裂した。“バッカーン”一人(ヤラレタァー)と叫び、ひっくり返ったようだ。
(大丈夫か、しっかりしろ、傷はどうだ)など、闇の中に交錯する。
行軍は一時停滞だ。衛生兵が、そして軍医が駆けつける。やられた本人(Y)は腰が抜けて立てない、相当な重症であるとみた。兎に角、闇の中の手探り診断である。しかし、損傷はない、五体満足である。暫くして分かったことは、崖の中腹に迫撃砲弾丸が当たり、その爆発土砂を腰に食らったのだった。
常々、(Y)は“軍隊は星の数じゃねェ、メンコ(食器)の数だ”とわめいていた古兵仲間の一人である。それ以降あまり威張らなくなった。
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☆ ある夜、寝入りばなだったか、非常呼集である。ラッパはまさしく非常呼集を知らせている。演習ではない。討伐隊を編成をおわり、駐屯地を出発したのが明け方だった。天津・北站駅から貨車に乗り、着いたところが唐山(天津・山海関の中間)であった。唐山からは鉄道を離れ、北へ向かって行軍である。各兵、通常装備の外に爆薬携行である、これは重い。
着いたところは《ロカコク(どんな字か》という、岩山に囲まれた谷あいの部落である。時は春、杏子の花が咲き競う至ってのどかな山村にみえた。
しかし、少数の歩兵隊がここに野営すると、翌朝までに何回か全滅の憂き目を浴びさせられているそうだ。
しかし、何回目かの調査で、周辺の山の中腹にほら穴があることがわかった。
部落に野営している歩兵隊は、山の方からは見下ろせるし、丸見えである。油断をついて夜襲をかけられ大打撃・全滅ということになる。
そこで工兵隊の出動となったわけである。
昼、重い爆薬を担いで中腹のほら穴まで、あえぎあえぎ登山である。ほら穴の中2~30m深く爆薬を仕掛けた。敵は奥深く潜んでおり射撃してこない。導火索を長くし入口近くで点火する。全員待避である。行きは重く大変だったが帰りは身軽である。仕掛けた爆薬(黄色薬)は相当な量だった。
爆破の瞬間、“ズズーン”ほら穴が崩れたのか、山が大きく鳴動し、一部陥没、大きく身震いしたのを覚えている。
身軽になったわれわれ工兵隊は、作業用器材を撤収して作戦終了。後は歩兵隊に任せ帰隊した。
後に、このほら穴の中に縦横にトンネルがあり、八路軍の一大拠点だったという。兵器庫、弾薬庫、衣服庫、病院など次々と発掘、発見され、戦果は甚大であった。
戦利品の中には、わが軍の三八式歩兵銃や防毒面があったり、われわれ先輩古年兵の名前入り防毒面が出てきたりした。
つづく