兵隊・抑留記(4) ハンマーを壊したのは誰だ
燕尾鎚(えんぴづち)事件
☆ 縄や鉄線による木材と木材の緊結作業もある。
その日は、鉄線(八番線 )による木材緊結であった。訓練は二人一組である。相棒の「K」(娑婆では鳶職、背中に倶利迦羅紋紋《くりからもんもん》の刺青あり)は、見掛けは兎も角、人のいい素直な奴だ。
先ず、訓練で何回も繰り返し、使い古した鉄線の癖を直すことから始まる。癖をとるために鉄線を丸太にくぐらせ、夫々燕尾鎚(えんびつち:釘抜き付ハンマー)の柄に端部を巻きつけ、相棒と交互に引っ張る。鉄線は丸太に触れたところで癖がとれる。
癖のとれた鉄線を、くるくると輪状に纏め(まとめ)れば、作業準備完了である。
緊結の訓練は丸太と丸太、角材と角材等十字、斜め、等と夫々緊結する。
撤収はこの逆で、鉄線の癖を直して輪状に纏め、燕尾鎚と共に、器材係へ返納する。
午前の訓練が終わり、兵舎に帰って、昼飯の分配も済み、さて、これから食事という時に、器材係より、『欠損した燕尾鎚を黙って返納した奴がいる』との知らせが入った。
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さあ大変。
「燕尾鎚を欠損したのは“誰だ”正直に申し出よ」
「犯人が出ぬ間は、飯は喰わさん」と、食事はお預けである。
が、誰も“私でした”と、殊勝に申し出る奴はいない。
かくして、食事抜きの午後の訓練も、夕方には終った。
“昼・夕食”お預けのまま、「初年兵全員講堂に集合」である。
“犯人は正直に申し出よ”と、講堂に軟禁状態となってしまった「厠(かわや・トイレ )」以外は出られない)。
“俺”は最初から、《俺の預かり知らぬこと》と、只々沈黙、様子見である。数人ずつ、あちらでコソコソ、こちらでヒソヒソである。お互い、疑心暗鬼のなかに刻々と時間だけが過ぎていく。
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ところが、消灯時間が過ぎても結論(犯人)が出ない。
事情が少しずつ違ってきたのは、9時・10時過ぎになったからだ。
夜の冷気は講堂を満たし、益々寒い。腹は減るし、その上、日中の訓練の疲れでいささか眠い。
これでは、お互いの思考力も鈍ろうというものだ。
この様な状態になってくると、だんだんと犯人の輪郭が浮かび上がってくるから、不思議なものである。
まずよくしゃべりだす奴が出てくる。その挙句「誰か犠牲になって犯人にならないか」と。
ふん、「こいつだな、犯人は」嫌な野郎だ。「誰か犠牲になり犯人に‥‥」とは、ふざけている。
そう思ったら、思った奴が行けばいい、行けない事情があると睨んだ。
“俺”は思考力の低下した頭で、なんで、こんな奴と一緒に居るのか、だんだん馬鹿々々しくなってきた。
それにしても上官も上官だ。「こんなことでよくもまぁ」である。
われわれの(苛酷な)訓練にも耐えられない不良器材の押し付けておいて、破損したからと犯人捜し。何でぃ、燕尾鎚のヒトツやフタツ‥‥‥。
無論、(名乗り出ない奴)が悪いに決まっているが、何かにつけ我々初年兵をブン殴ることしか考えない、ブタか或いはそれ以下にしか扱っていない者が、こんな時だけ「良心に恥じないか」とは聞いて呆れる。
“俺”の心境は単純だから、「ふざけんじゃねェ‥‥‥」。
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☆ 夜、11時頃だったろう、「俺が犯人になってやろう」と決めた。
決めたら早い。相棒「K」を講堂の隅に呼んで、そっと「俺が犯人と名乗り出る」ついては、貴様は後で呼ばれるから、その時は「可哀相で申し出られなかったと言え」と辻褄合わせをして、中隊事務室に向かった。
どうせ、先のことは分かるもんか、と、後先あまり考えない、おっちょこちょいの行動である。「“ビンタ”と“重営倉”後はどうなるか、俺の知ったことか」「後は野となれ‥‥」と、ヤケッパチで中隊事務室に飛び込んだ。
ところが、中隊事務室の将校、下士官はあっさりと「分かった、このようなことは、全員に迷惑を掛けることである。今後は十分心せよ」と、ビンタもなく“隣室待機”とのこと。
さて、「これからどうなるか‥‥‥」と思っていたら、暫くして教育係の班付上等兵が迎えに来てくれた。班付上等兵が言うには「貴様じゃないないことは、この自分が一番良く知っている」と俺の肩に手を掛け、涙を流して感激しているではないか。
無論、全員、解放である。どうも「K」を訊問した結果、直ぐにウソがばれてしまったらしい。
その夜、ようやく、遅く冷え切った夕食にありついたのち、後片付けも早々に切り上げ、ようやく眠ることができた。
翌日、中隊長室に呼ばれた。中隊長始め中隊付きの将校、小隊長などから、いろいろ訊問されたが、最後に、中隊長から『貴様、幹部候補生志願はどうするか』と問われ、「心を入れ替え一所懸命頑張ります」位のことを言って、神妙だったようだ。
特にお咎めなし。
大分後で分かったことだが、上官も眠くて誰でもいいから犯人が出ることを願っていたようだ。それに加えて、上官は「こいつは犠牲的精神が汪溢(おういつ)している」と勘違いしたようだ。
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聯隊(れんたい)本部勤務のH軍曹は、われわれ初年兵を受領に来て、内地から一緒だったので顔身知りである。
中隊に配属された後も、営庭などで会った時など「貴様の顔を見ると殴りたくなる」などと忠告を受けたものだ。
なんとなく気になる存在として“俺”がいたらしい。「ウスノロのくせに生意気な顔(態度)の奴」ぐらいの存在か。
事件後、H軍曹に会う。『貴様派手なことをしたな』と言って笑っていた。どうやら『犠牲的精神汪溢』ということで話題になり、“俺”の株は少し上がったようである。
軍隊は運隊である。
つづく
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汪溢(おういつ): いっぱいにみなぎること。あふれ流れるほど盛んなこと。