兵隊・抑留記(2) 馬糞と共に天津へ | SAPPERの兵隊・抑留記

兵隊・抑留記(2) 馬糞と共に天津へ

北支派遣軍

 

 
☆ 12月中旬東京を出発、同月16日神戸港を出帆したわれわれ初年兵は、
玄海灘を渡る。

 

船は名にし負う玄海灘の荒波に大分揉まれたが、“俺”はあまり船酔いもしないうちに通過、北支那・塘沽港の沖合に投錨。ここでダルマ船(重油・馬匹など物資運搬船)に乗り換える。

 

われわれ《初年兵》は、企図秘匿とか称してこの船艙に閉じ込められてしまった。掃除をした形跡のない船艙は重油でベトベトと黒く、その上新しい馬糞がごろごろしている。加えて、混在せる異様な臭気は船艙に充満し、腰を下ろすなど、とんでもない。

 

 支給された銃は編上靴の上に置いて直接床に触れぬよう、汚れを防ぐ。このような場所に鮨詰めでは、息苦しく気分を悪くした者、続出である。
 

 われわれ《初年兵》は馬匹なみ、或いはそれ以下というところか。 交代で甲板に出ることを許されたのは、大分時間が過ぎてからであった。甲板上で深呼吸をする。
 

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 船はすでに海に別れを告げ、白河をゆっくりと溯航していた。
 

 甲板上の目線は大地とすれすれであり、見渡す限り海、川、大地は茶一色であった。空は重く鉛色、所々にある樹木は黒々として、緑はない。頬を打つ冷気、寒々とした灰色、そうだ正に灰色の世界である。
 

 東京では見られない光景であり、これが、上陸第一歩の強烈なる印象である。
 

 1940年(昭和15年)12月22日北支那河北省・天津に着いた。
 

 駐屯先は、天津市内のはずれ北站駅に近い、工兵聯隊(れんたい)である。
 

 

 

つづく