もしもポエマーがウガンダでのインターンを総括してみたら | 大学5年目世界一周

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某都内に住む大学5年生が世界を旅し、感じたことをつらつらと綴る雑記。

ウガンダでの6週間が終了しました。
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一言で感想を述べさせていただくと、



「めっちゃよかった」



最初は、慣れない土地で慣れない文化で、言葉が通じない子供達相手の仕事。


正直初めてすぎてどうしていいかわからんかったし、一日一日がとても長く感じていました。


でも、それを変えてくれたのは間違いなく町の人たち、そして子供達でした。


僕が住んでいた町は本当になんもない町。


電気すらないこともしばしば…



それでもこの町の人はそんな物質的豊かさがない中でも陽気に明るく暮らしています。


そして、とても人に対してオープンであり、親切であり、穏やかな人たちでありました。


そして、子供達。


信じられないほど元気!
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ホンマにその元気わけてほしいっていうくらい。



たぶん彼は元気が度を越しちゃった、のかな?
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そして、まだ幼いので、言葉は通じなくても自分の感情をそのままダイレクトに彼らの言葉や、身振り手振りでぶつけてくれました。


そんな奴らとずっと一緒にいると、なんかこっちまで幼くじゃなくて若がえってる自分がいた気がします。


彼らと本気で遊び、喜び、怒り。


そんなことをしているうちにいつの間にか彼らに言葉はなかなか通じないなりに教えていくことの難しさ、楽しさみたいのを感じるようになっていた自分がいました。



そうやって、町の人、子供達とふれあい、親しくなることで町の人の生活を近くから見る機会も増えました。
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ここの人は貧しい。


マラリアにかかっても一回500円の注射代を払うことができない人がいかに多いことか。


こりゃ、簡単に人は死んで当然です。

でも、そんな貧しい中にもなんかとっても顔と顔をあわせた密なコミュニケーションがこの国はとっても豊か!


貧しくてもなんかみんな楽しそう!
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そんなのを見ながら日本も昔はこんなんだったのかなとか想像を膨らませたりしました。



そしてなんも無くても僕自身なんかここの生活に慣れ、楽しく、なんか満たされた気持ちになってしまいました。


ほらね、ただニワトリもってるだけなのにこの人なんか楽しそうでしょ?
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あっ、こいつは3時間後こうなりました。
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でも、その一方で、ここでの文化で理解はできても受け入れられないこともありました。


この国の人は「シェア」するという文化があります。


子供達も自分たちの持ってるほんの小さな食べ物ですらちぎって僕にくれようとします。


しかし、そんな「シェア」の文化が、他人のものは自分のものかつみんなのものという文化を生み出していました。


だから、何かを買ってあげたりしてもありがとうの言葉一つないことの方が多いし、みんな何の断りもなく平気で人のものを使います。


その文化、自分にとって理解はできてもなかなか受け入れることができなかった。


結構イライラしました。


そんな時、やっぱ自分は日本で生まれ、日本で育ち、日本に浸かった日本人なんだろうなあと。そして、これからどこへ行こうと最終的に自分が落ち着き、帰る場所は日本なんだろうと思いました。


そんなことを遠くウガンダの地で思うなんてとてもおもしろかった。



そうやって、ウガンダでは、たくさんの現地の人のお陰でなんかたくさん気づくことや思うことが多かった気がします。



これも現地にある程度「浸かる」経験ができたからなんだろうな。



そんな穏やかで居心地がよかったからこそ離れるのは物寂しい気持ちがありました。



最後に子供達と。
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千羽鶴ならぬ百八十羽鶴折ってわたしました。
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偶然にも鶴はウガンダの国鳥。


鶴みたいに大きく羽ばたいてほしい。



そんなクサすぎて日本じゃ絶対口にできないような言葉を偉そうに述べてきました。



あいつらロクに話きいとらんかったし鶴ソッコーボロボロにしやがったけどww



たぶん、彼らは明日から僕がいないことなんか理解してません。



だからこそ最後はなんか悲しいというか、申し訳ないというか…



一緒にサッカーしてくれた少年たちと。
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彼らには僕が着てたアーセナルのユニホームを渡しました。


ここでも将来ここの誰かがアーセナルでプレーすることを願ってますという想像通りのクサい話をしました。



さすがに小学生。僕がいなくなることもきちんと理解してくれてます。



そんな彼らの目には大粒の涙が




出てませんでした。



そんなクッサいセリフを吐いてきたわけだけど、でも半分は本気です。



すごい、この何もない貧しい土地からこの子供たちがどう成長していくんだろう。めっちゃ見てみたいです。





ウガンダの教育の問題点を探り、彼らにいい教育を与える。


そんな、馬鹿でかい目標を掲げていきましたが結局特にそんなことできた自信は0.0002ミリ%もありません。


そんな素人なんだから当たり前です。ちょっとできたとしてもウガンダっていう国レベルで影響を与えるなんて絶対無理です(ウガンダの教育の問題点は多々感じたが…)。



そう、僕は夢見るお馬鹿さんだったようです。



でも、そんな夢見るお馬鹿さんは逆に彼らに本当にいろんなことを気づかされ教えてもらいました。



ウガンダの小さな町で過ごした6週間。



人生にしたら本当に一瞬。


だけど、間違いなく人生の中に深く残る「濃い」一瞬になるんだろうなと今は感じています。



そんな、彼らからたくさん教えてもらった僕がこれからできること、それは間違いなくこのまま関係を保ち続けて少しずつ彼らに恩返しすることに他なりません。



これは僕の人生の中でマストになりました。




実際行ってみないとわからんこと多いし、貧しいアフリカの人たちを支援なんて実感わかないよね。


もちろん自分もそうでした。



でも行ってその地に「浸かった」今は、やらなきゃ、そんな気分です。



そして、10年後、15年後、絶対この地に戻ってどう変わったか、変わらないかを見に来ます(あ、ここに永住するわけでは決して決してないですよ笑)。



なんかそれは今から楽しみかもしれません。



その時にその時の子供が15~20歳くらいになってて、僕のこと覚えてくれて今みたいに「サトーシー!」って呼んでくれたら最高やね。




今は、ウガンダを出る飛行機の中。


これからここ4カ月で4度目のロンドンwwに一日戻り旅を再開します。



全然ウガンダでのんびりしすぎて再開できる気分じゃないけどね。



ここから3カ月は日本に徐々に近づく旅。


ウガンダのときほどは難しくても現地に「浸る」旅をしていきたいし、たぶんそれはとても楽しいはず。



とりあえず、イスラム圏に入る前に酒でも飲みまくっとくことにします。



以上、本日はポエマー、夢見るお馬鹿さんの提供でお送りしました。



次回から普通に戻ります。