「ドッペルゲンガー」

ウィキペディアによると、「自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、「自己像幻視」とも呼ばれる現象。

自分とそっくりの姿をした分身。

同じ人物が同時に別の場所(複数の場合もある)に姿を現す現象を指すこともある(第三者が目撃するのも含む)。超常現象事典などでは超常現象のひとつとして扱われる。

その人物の「死の前兆」と信じられた。」

 

四国八十八所を回っている。区切り打ち。

愛媛県の石鎚山中腹にある60番横峰寺が未踏査だったので歩いてきた。

地図からして難コースであることが伺えたが、実際に歩くと想定した以上の苦行だった。

 

登山道に入る途中、車道のコンクリート法面に二つの石碑と小さな祠があった。

碑文は風化して読み取りづらいが、一つは「御来迎所 文化14年」とある。。

もう一つには「御来光出現 弘法大師曰く神仏は死んでも無きものではない 生きて此世で救けるものなり 教えに従うところには自由自在に現われて救けるものなり 昭和48年9月12日 出現の時刻10時30分より40分まで」とあり、高知市の58才の女性と56才の男性の名前と住所と、「同行2人拝す」と刻まれていた。

要するに、ここに弘法大師が現れたということだ。

 

文化14年というのは西暦だと1817年のようで、徳川11代将軍家斉の時代らしい。

また昭和48年だと、まだ車道が整備されてなくて、この遍路道は本当の山道で、苦難の連続だったのではなかろうか。

 

信仰されている方に失礼とは思うが、極限状態に置かれて起こる幻覚、幻聴とも考える。

ドッペルゲンガーもその一つだと思う。

 

仕事に出た時、倉庫の軒下で弁当を食べる。

ふと棚に置かれた古い塗料の缶が目に入った。

その開口部からの滴り跡に一人の人物像が浮かび上がっていることに気付いた。

鍔のないキャップ、黒いぴったりした長袖の作業着の襟を立てている。

その表情ははっきり読み取れないが、決して見るものに恐れを抱かせるようなものではないし、訴えてくるものも感じない。

この塗料を使った人物なのか?

だとするともう何年も前だ。

 

弁当を食べ終わり、仕事を再開しようと、ガラス戸に映った自分の姿を見て、鳥肌が立った。

缶に浮かび上がった人物像と己が姿が重なったからである。

これってドッペルゲンガー?

ということは・・・

 

お大師さまーっ!