五月の末に、「夏服処分するから取りに来て」と電話が来て、取りに行った。
サイズが私とほぼ一緒。
「最近さ、お腹だけが膨らんでジーンズ👖等履けなくて持って行って」と。
「旅行用キャスター持って行くね」と私。
彼女はとてもお洒落で安物は買わない。不要になれば、すぐ捨ててしまう。
衣装ダンスが満杯になるからと。
「捨てるなら私にちょうだい」と
私の依頼は殆ど彼女の物。
厚別の家から着のみ着のまま追い出された私は衣類等は殆ど持ってこれず本当に助かった。
夏物は全く無いので6月に取りに行ったら、マンションに鍵が、行く時には必ずLINEして行くのだが既読確認しないで行ってしまった。
この時は入院していたのだった。
その数日後「食事が摂れない。少しでも食べるとお腹が痛くて堪らない。腹水が溜まって度々抜きに行く」と。お腹が膨らんでいるのは腹水のせい。その頃から、腹水抜きと脱腸ヘルニアが出来て手術と入退院を繰り返していたのだ。
まきちゃんは頑張ったね。もう苦しまなくて済むね。
とうとう杖なしで歩けなくなって、車椅子を借りたら?と言っても。弟さんと旅行しなくてはならないから、車椅子に頼ったら迷惑を掛ける事になるとガンとして利用しなかった。
姉弟凄く仲良しで、箱根やら色々と旅行✈️していたね。羨ましかったよ。
私はまきちゃんのマンションから徒歩30で行ける所に引越してきたのに、一度も私の新居に来る事ができなかったね。
相変わらず貧苦生活しているけど、やっと自分でお料理できる環境になったので、まきちゃんに手料理振る舞おうとしても、それも実現出来なかった。
まきちゃんに恩を返す事も出来ず、本当に心苦しい。
まきちゃんとの出会い。花車を経営していた時のマンションの隣に義兄が二つの会社を経営していて、私はその二つの会社の経理担当者として30年以上、義兄が会社を畳む迄勤めた。
私は車で通勤していたので、猛吹雪になると会社に泊まりこむ事も多々あり、その時は花車のママが夜食を提供してくれた。
当時、彼女は一階は花車で同じマンションに入居していたので、ママの部屋のから私の勤務先の3階で寝泊まりしていた部屋が見えていたようだ。
同じ歳の私達、性格も好みも全く違う私達なのに何故か気が合う。
会社をやめて数年後、私が脳梗塞で入院していた時にママから、カレーの食材のオーダーのメールを受取り、間違メールだった。近くにいなくても街に出ると必ず花車で食事をしに行っていたから時々は会ってはいたけど。
間違えメールだよと、返信したらまきちゃんも別の病院で脳梗塞で入院してしていると。
同じ時期にお互い脳梗塞を患っていたのだ。
縁、それから私達は大親友になった。そして彼女は再婚したご主人を亡くしていたのだった。
ご主人が家事を全てしてくれていたので、まきちゃんは花車のママとして仕事に没頭できていたのに、ご主人の死と コロナ禍の影響で花車を手放す事になったのだ。
いつも華やかなだったママがもう天国に行ってしまった。
ママ目当ての常連さんも沢山いた。
ママの死を知ったら驚くだろうなぁ。
閉店する前にお別れ会をした時はお店に入りきらない常連客が沢山いた。
そうそうあの大泉洋氏もSTVに来た時は必ず花車でスープカレー🍛を食べに来ていた。彼女もSTVで人気スープカレー🍛屋さんの美人ママさんとして出演した事もあった。
花車のメニュー表は全て私が作成してラミネート加工した者。
壁に貼っていた各種のカレーの画像も私が作成した物。
携帯にはママとのツーショットの写真が沢山入っている。眺めていたら涙が止まらない。
こんな事していたら、もう朝になってしまう。
眠れないから、これから夜ん歩🚶してこようっと。
ここら辺は桑園のど真ん中、知事公館が近いせいか、夜中でもパトカー🚓が走ってる。
知事公館には知事は住んでいないが、近くのタワーマンションに住んでいるらしいとは聞い事あるけど。
この前、車が走ってないので、信号無視したら、後からパトカー🚓が「信号無視は危険です」とマイクで注意された。
ミニ大通公園の細い道の樹木🌲🌳の陰で車は止まっていたが、それがパトカー🚔とは、眼鏡👓を掛けていたのに分からないかった。
ずっと止まっているから、まっ良いかと思い信号無視してしまった。
夜ん歩、朝ん歩は冬物のマフラー🧣をしなければ寒い。気温は10℃。
今日は日中は25℃の予定。北海道は温度差が大きいから冬物は片付け出来ない。
もう朝になってしまう。さぁ出かけようっと。