先日、ワカメご飯を三日間食べ続けていたら、どうも身体が怠い。

そう食べる物が無くなって、貧血状態になってしまい、顔はゾン🧟‍♀️のように目が引っ込んでしまい、目の周りが青黒になって、頬もこけて、何より歩けなくなってしまった。娘に連絡すれば食料品は持ってきてくれるとは思うが、仕事中は携帯は繋がらないし、自宅も南区の端から我が家は西区もう小樽側にあるので、そこから来るだけでも大変だと思う。

フラフラになって区役所の福祉課に相談しようと着いたのが17時近くで、相談担当員は私の顔を見るなり、保護課に電話して、生活保護者の食料品在庫確認してくれた。

私は何回も福祉課に行っているので、私は生活保護者にはならない事を把握しているので、保護者の食料品を次の年金支給日に返すとの念書を記入すると、その食料品を買える。

で区役所に在庫があったのがアルファ米のワカメご飯のみ。私は橋本病なのでヨード系の物は極力避けなけれはならない。まして定期健診さえ行けてないので、薬💊も服用していなかった。

交通費もなくなったので、地下鉄6駅、JR5駅先の所は平気で歩いていたが、その日の帰り道、歩けなくなってしまった。

救急車🚑を呼ぼうかなとも思ったがタクシー🚕ではないから、病院🏥に運ばれたら、帰宅する時はタクシーになるし、どうしようと、這って歩くしかないかと、ここら辺にTupperwaerのMGRさんが住んでいる筈とダメ元で電話してみた。彼女は私より一つ年下だか、優秀なマネジャーさんで朝早くから夕方まで精力的に働ている。今、運転中かもとメールして近くのコンビニに居ると連絡したら、吹っ飛んで来てくれた。沢山の食料品を持って、コンビニでも買って来てくれた。

10日間も何も食べて無いので、いきなり固形物を食べるとダメだからおかゆにして、泣きながら食べた。

今の私にはこんなに助けてもらっても何もお礼が出来ない。

情け無い💦。

生きていればなんとかなると、自分の身体は自分で管理しなければならないと、毎日セッセと歩いて中央区の老人福祉センターに行きヘルストロンを利用して、今日は親友のMちゃんから、焼き鮭を頂いたので、🍙は私は海苔はダメなので大好きな胡麻オニギリしかも酒の具入り、これを福祉センターで食べる。

一昨日、いつもの様に歩いて帰ろうと思ったが歩いていると眠くて、半分眠りながら歩いていて電柱にぶつかり転倒し、このまま自宅に帰るのは危険と薄野近くに住むMちゃん家に泊まらせてもらう事に。センターからススキノ迄はいつもなら30分で着くのだか、途中コンビニのベンチで休み々して1時間で到着。膵臓癌で闘病中のMちゃん、ステージ4で余命半年を宣告されているMちゃん。


今朝はMちゃんからカセットコンロを借りて、炒飯を作って食べた。

現在は抗がん剤を拒否して、札幌市でもやっている免疫療法で保険適用にはならないので費用も半端なく高い。順調で会う度に顔色も良くて、痛みは無いらしく、買い物も自分でして自宅で調理している。癌患者は癌のエサである甘い物は一切駄目で食べられる物の制限が多い、だから調理は大変だと思うが、彼女も体重が40㌔しかない、普通の人の半分しか食べられないと捨てる事になるとか。

私も体重は45㌔もない、流石10日間食べれなかった時は40㌔切ってしまったが、歩くせいか、食欲はある。


調理棚がないので洗濯機の上にコンロを置くしかたい。


油だらけのキッチンフード

このアパートは何故か洗濯機置き場はキッチンシンクの横にある。

お一人様にしては12㌔の物は布団でさえ4時間位でフワフワに乾くが電気消費もかなり高いから、洗濯機乾燥機を作動していて小さなトイレ用の電気ストーブを使用するとブレーカーが落ちてしまう。

今朝はカセットコンロで調理するのでキッチンフードのスィッチを入れようとしても油だらけなのが、つかない。

清掃としていないアパートに入居してしまった。

もうこんなストレスだらけのアパート、早く出たい。

今までは免疫療法をしている所は函館市しか無く、3年前その話を来て、夫に家を売ってでもその療法を受けさせようと思ったが私は運転免許証を返納していたし、二、三日泊まり込みになるので仕事を持っている子供達には頼めない、そこで札幌市にもしてくれる所があり、通えなければアジメスト入りのマット100万円で磁器も入っていり身体がポカポカになる。お試しで1週間借りて私が体験したら、身体が楽になり、買おうとしたいたら、当時の緩和訪問医師からストップ。

夫のベットの真下に私が寝ていて、ヘルストロンと同じ振動は感じ無いけど、手を触れると感じる。医師曰く夫は骨に転移しているので、その振動が危険と言われて購入を止めました。

がそれと同時に癌細胞は消えないが抗がん剤治療の副作用を緩和すると、キャナウェイのCBDのカプセル、癌家系の人は予防の為になら月¥10,000で大丈夫だか、癌に罹ってしまうと、その5倍の量が必要なので、月額¥50,000。

その費用、癌が見つかった時は毎週、二俣ラジウム温泉♨️に泊まりがけで行き、まだお互い元気だったので運転を交代しながら通った。

全国、全道から癌患者は何日も泊まり込みで湯治していた。

夫もまだ働いていたけど、私もここでアルバイトして、半年位湯治しようと思っていたが。

夫のは余命半年と宣告されていたが一年以上生きて、亡くなる3ヶ月前までアルバイトしていた。

亡くなる前に最後の健診で転移して大腿骨の骨折が再生されていて、主治医は驚いていた。

若い人の骨は自然再生するが、癌患者で高齢者の自然再生はあり得ないと、CBDのおかげ。ステージ1、2なら癌細胞が消える事もあるとか、ちょうど治った方との集まりが札幌市のホテルでキャナウェイの社長さんも来札していて励まして頂きました。


私達夫婦で長い間のドライブ、夫の大好きな演歌を流してながら、私は演歌が苦手で眠ってしまうと、横で寝られたらこっちも眠くなると、おしゃべりすると煩いと。喧嘩ばかり、大阪に住む友人夫婦も来道して一緒に♨️通い


2メートルはあるのではないかと思う、キャナウェイの社長さんと、励ましてもらった


夫は自分は、もう大丈夫かもと思う様になったが、最期は水も薬も飲めなくなり、結局は誤嚥性肺炎で宣告されて一年後に亡くなってしまったが、自宅で介護して、家族に見守れて、耳だけは最期まで聞こえるとの事なので、大好きな演歌をサブスクで耳元のiPhoneで流しながら、まるで笑みを浮かべながら眠るように、天国に行きました。自宅で看取ったので、夫の魂は私の身体の中にいると信じているから、私はそれだけで満足で幸せです。



パパっ子の娘の泊まり込みで介護してくれた


最期、色白の夫の手と真っ黒の私の手


パパ、ありがとうね。もう生の声は聞こえないけど、魂は私の身体に居るんだよね。だからさよならとは言わないからね。


抗がん剤の副作用はまったく無く、髪はフサフサ、頬はピンク色で湯灌する時、男性でもオテモヤンのごとく、化粧される事も無く、本当に眠っているようそして、私はお一人様になってしまった。

でも、行政、友、知人に助けられて感謝しながら、これからの余生を楽しく、なるべく皆に迷惑をかけない様に、ピンコロとパパの所へ行くのが私の夢。

それまでパパ私を呼ばないでね。

やっと身体の怠さが抜けて来た様だ。

もうお昼近くになったが、お天気も良さそう。

これから外出する。

15時まで福祉センターにつけば利用できる筈。

土曜日だから混むだろうな?