⑤社会福祉って何?シリーズ

 

 

 

 

 

 ~エリザベス救貧法から新救貧法ができるまで①~

 

 

1722年 (日本) 小石川養生所設立  無料の医療施設

 

 

小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)は、江戸時代に幕府が江戸に設置した無料の医療施設。将軍徳川吉宗と江戸町奉行の大岡忠相の主導した享保の改革における下層民対策のひとつ。幕末まで140年あまり貧民救済施設として機能した。

 

江戸中期には農村からの人口流入により江戸の都市人口は増加し、没落した困窮者は都市下層民を形成していた。享保の改革では、江戸の防火整備や風俗取締と並んで下層民対策も主眼となっていた。享保7年(1722年)正月21日には麹町(現東京都新宿区)小石川伝通院(または三郎兵衛店)の町医師である小川笙船(赤ひげ先生として知られる)が、将軍への訴願を目的に設置された目安箱に貧民対策を投書する。笙船は翌月に評定所へ呼び出され、吉宗は忠相に養生所設立の検討を命じた。

設立計画書によれば、建築費は金210両と銀12匁、経常費は金289両と銀12匁1分8厘。人員は与力2名、同心10名、中間8名が配された。与力は入出病人の改めや総賄入用費の吟味を行い、同心のうち年寄同心は賄所総取締や諸物受払の吟味を行い、平同心は部屋の見回りや薬膳の立ち会い、錠前預かりなどを行った。中間は朝夕の病人食や看病、洗濯や門番などの雑用を担当し、女性患者は女性の中間が担当した。

 

 

1722年 (イギリス)  ワークハウス・テスト法(ナッチブル法)

貧民の救済申請を抑制するためワークハウスでの労働意欲テストを貧民に課し、テストを拒否する者は救済せず。

 

ワークハウス・テストを課すことで。だから労役所は貧民の雇用のためではなく求援申請抑制のための施設になった。そして実際に収容されたのは児童・老人・病人・障害者などで、老人や婦女子の多くは家事や育児に使われ、それ以外の者と児童は内職のような労働に従事した。起床・就床・食事・お祈りなどは細かく規定され、違反すれば、足かせ・土牢・減食・外出禁止などの処罰。次第に有能貧民は救援申請しなくなり、収容者の半分以上は孤児・棄児で、ほかには老人・長期の病人・狂人・急病人・瀕死の病人などであった。やがてワークハウス・テストによってこれらの人々の求援をも抑制してしまったことに対し反省がおこった。

 

 

1722年、わが国では小石川養生所が設立され、イギリスでは、ワークハウステスト法が制定されました。

小石川養生所は幕府が認めた無料の医療施設です。徳川幕府が江戸に解説さては百数十年が経ち、人々は江戸に移り住むようになっていて江戸の人口は急増していました。小石川養生所も貧民対策の制度ですね。

ワークハウステスト法は、エリザベス救貧法の濫給や堕民養成を避け、救貧税負担の圧縮を目指した制度です。産業革命が起きる直前です。世界的にこのこの頃の社会福祉は、対象を貧困が対象でした。

 

 

1782年(イギリス)  ギルバート法  救貧院には老人と病人のみを収容し、健常な貧民は院外で就労させ、労働の意志のない者は懲治院に収容することとした。救貧法の人道主義化。

 

ギルバート法は、懲治院の機能を縮小し、健常者には自宅で仕事を与えるという方針転換がなされた。これは、教区のいくつかが実験的に導入した制度が結果的に失敗に終わったことに端を発していた。

17世紀末ブリストルで、複数の教区・都市が連合して懲治院を建設し、救貧行政を行う制度を実施した。ブリストルの実験制度じたいは成功し、治安の改善や貧民の独立がみられた。この制度はイングランド各地にひろがり、中央でも懲治院実験法を制定して全国的に広めようとした。しかし懲治院の居住環境がさらに悪化して伝染病の温床となるなど弊害がおこった。

トマス・ギルバート下院議員が提唱した救貧法の改正が議会を通過した。通称ギルバート法とよばれるこの法は、救貧連合を認めるいっぽう、懲治院には老人・病人のみを収容することと改められた健常者貧民には院外救済として自宅で仕事を与えた。

 

 

1789年(フランス)  人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)。

  • 人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三権分立、所有権の神聖など17条からなるフランス革命の基本原則を記したものである。
  • フランス革命 : 世界史上の代表的な市民革命で、前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命。
  • 1787年にブルボン朝の絶対王権に対する貴族の反抗に始まった擾乱は、1789年から全社会層を巻き込む本格的な革命となり、政治体制は絶対王政から立憲王政、そして共和制へと移り変わった。さらに1794年のテルミドール反動ののち退潮へ向かい、1799年にナポレオン・ボナパルトによるクーデターと帝政樹立に至る(1799年11月9日のブリュメール18日のクーデター)。一般的には1787年の貴族の反抗から1799年のナポレオンによるクーデターまでが革命期とされている。
  • フランスの王政とアンシャン・レジームが崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃されて近代的所有権が確立される一方、アッシニア紙幣をめぐって混乱が起こった。

 

 

1790年(日本) 江戸石川島に犯罪者の自立支援施設として人足寄場が設置される。

 

  • 人足寄場の設置以前には、無宿の隔離及び更正対策として佐渡金山への水替人足の制度があった。しかし、水替人足は非常に厳しい労役を強いられるものであり、更生というより懲罰という側面が強かった。そのため、犯罪者の更生を主な目的とした収容施設を作ることを火付盗賊改方長官である長谷川宣以(長谷川平蔵)が松平定信に提案し、人足寄場が設置された。
  • 人足寄場は、“江戸幕府初の”、時には“世界初の”更生プログラム・専用施設と紹介されることがあるが、安永9年(1780年)に時の江戸南町奉行の牧野成賢の献策により深川茂森町に「無宿養育所」が設立されている。生活が困窮、逼迫した放浪者達を収容し、更生、斡旋の手助けをする救民施設としての役割を持っていた。享保の頃より住居も確保できない無宿の者達が増加の一途を辿っており、犯罪の根源ともなっていた。彼らを救済し、社会に復帰させ、生活を立て直す為の援助をすることによる犯罪の抑止が、養育所設置の目的であり趣旨であった。この試みはしかし、定着することなく途中で逃亡する無宿者が多かったため、約6年ほどで閉鎖となってしまったが、この牧野の計画が後の人足寄場設立のモデル・先駆けとなった。

 

 

1795年(イギリス) スピーナムランド制度が始まる

  • 賃金収入が基本生活費に満たない貧民に差額を補填した。

 

1795年に始まるスピーナムランド制度は、物価連動制の院外救貧制度である。パンの価格に下限収入を連動させ、働いていても下限収入を下回る家庭には救貧手当が支給された。これはフランス革命の影響から物価が高騰するいっぽう、収入は増えず困窮する農民・市民が続出したためである。バークシャー州スピーナムランド村の治安判事は貧民の窮状を見かねて、対策を協議した。その結果、ギルバート法の院外救済の制度を拡大解釈し、パンの価格をもとに基本生活費を算出した。この基本生活費に収入が届かない家庭には、その差額分を補填した。

博愛精神から生まれたこの制度は、思わぬ副作用をもたらした。安い賃金でも差額を救貧費で埋めてくれるため、企業家たちが労働者の給与を切り下げだしたのである救貧税は膨れ上がり、1810年ごろには当初の3倍以上に急増した。救貧税を負担していた農民は重税に耐えきれず貧民化し、いっぽうで貧民は働いても働かなくても収入がかわらず、勤労意欲を削ぐという事態まで引き起こした。

 

 

1800年(イギリス)  貧民学校が自然発生的に生まれる。

 

  • イギリスにおいて,下層階級を対象としてつくられた学校。 19世紀初めポーツマスの一靴商であった J.パウンズが自分の店に近隣の貧困児童や浮浪児を集めて読み,書き,算術および初歩的な職業訓練を授けたのが最初といわれる。キリスト教的人道主義の見地から富裕者の寄付でイギリス各地に設立され,1844年にはロンドンに貧民学校連盟が結成された。 56年からは国庫の補助もあったが,19世紀末には義務教育制度が確立してその役割を終えた。

 

保育士試験、教育原論に関連)

ペスタロッチ (1746~1827) スイスの教育家。ルソーの影響を受け、孤児の教育・民衆教育の改善に尽くす。人間性の陶冶の基礎は家庭および小学校教育にあるとし、児童の自発的活動を重視する直感的方法を唱導。また、社会改革は教育によってなされると主張した。

急進的愛国主義運動,農業経営,貧民学校の試行錯誤を経て,家庭の再生と子どもの知性・道徳・技術を育てる教育によって民衆の道徳的更正と自立をという思想に至る。

 
 
1833年(イギリス)  工場法
 
1834年(イギリス) 新救貧法  労働可能貧民の院外救済を禁止しワークハウスに収容。院内での処遇は最下級の労働者以下とした。(劣等処遇の原則)

 

 

新救貧法の成立は、ヘンリー8世以前⇒ヘンリー8世の救貧制度⇒エリザベス1世のエリザベス救貧法⇒新救貧法、という一連の流れとして、救貧制度が改定されていった動き、として理解すると良いと思います。改定の動きには途中で小さな改定が起きていることに留意してください。そして子供たちと労働の動きにも留意してください。幼年者の労働の規制としての工場法の成立。

 

 

 

社会福祉の基盤を確認しておきます。

 

暮らしの中で生じる困りごと(←人々の暮らしぶり)

  • 貧困 労働意欲の低下 
 

困りごとを解決する制度政策や援助の方法

  • 救貧制度、労働不能な者は救済、労働可能な者には強制労働を課す、懲罰的労働

 

上記2つをつなげる援助の実施者の援助観(←援助に対する価値)

  • 貧困者を増やさない  収容保護  治安維持的

 

これら全体を繋げる福祉観(←人、制度と援助、援助者とその価値に対する価値)

  • 中央集権的

 

 

 

次回⑥へ

 

新救貧法の中身は⑥で。

 

 

 

 

 

 

 

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