★漫談家 牧伸二による (2007年ミクシー日記より転載)
以下、父子の会話。。
「息子よ、寝てばかりいないで勉強しろ」
「何のために、勉強するんだい?」
「いい成績をとって、いい大学に入るためだ」
「それで?」
「いい会社に入って、いい給料がもらえるぞ」
「それで?」
「人生をゆっくりと寝てすごせるじゃないか」
「俺は最初から寝てるじゃないか」
「あ~あ~あ、やんなっちゃった、あ~あ~あ、驚いた」
有名な漫談、中々愉快になる
牧氏が、山の手線乗車中に、車内で「やんなっちゃった」を頻繁に耳にしたことが、この「やんなっちゃった節」誕生と関係があるのだとか。
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例えば、デイ・トレードで成功して大金持ちになる。
そして、念願だったバハマで暮らす。
しかしながら、「それまでの暮らし」との落差に、こころのバランスを崩して・・・
精神科医のお世話になる方もいるのだとか
こころが故障するぐらいなら、「それまでの暮らし」でよかったじゃないか、という。。。
どこかこの漫談を連想させる興味深い話
成功前と成功後、自分の核心は変化しないが、周囲は変化する。
その周囲の変化を上手に受け止めながら、必要に応じて自分を変化させる。。
これは何も「デイトレード」や「事業」で成功、そういう派手な世界の話だけではなく、「結婚して家庭を持つ」というレベルでも当てはまる話だろう。
「成功しても」、「失敗しても」、「成功途上」でも、人生は続く。
そして、「自分のおかれた状況」からは、その都度、「相応しいキャラクター」を要求される。
そうなのだ、と前提すれば、自分の中に、それを織り込んだキャラクターを複数持てると、より楽しく暮らしていけるのだろう。
キャラクターの種は、月並みながら「小説」「映画」「舞台」等か。
あわせて、日常の人間観察・・・・が欠かせない。