コロナウィルス感染拡大対策として唐突に出された小中高校などの臨時休校要請。

 

その対応に対する記者の質問に大臣が答えた言葉に批判が集まっているとのこと。

 

麻生大臣「つまらないこと」発言 切り取りと擁護も止まぬ批判

 

facebookやツイッターでも、怒りの声がたくさんあがっているが、私の目から見れば、嘘もつけないくらい追い詰められて居直るしかない、ともみえる。言葉も内容も力がない。

 

この「つまんないこと」発言に怒りを覚えるのは自然な反応だけれど、ここまで追い詰めた、ととらえれば、攻め時だ、となる。

 

もし今の政治の問題をより良くしたいと考える人の立場なら、怒りに身を任せるよりも、冷静に相手の急所を攻撃して畳み掛ける局面ではないだろうか。

 

モリカケ、桜、検察人事、その他諸々・・・これらは、重大で看過できない問題だけれども、国民の実生活とは少し離れたところで起こってきた。

 

だから嘘だとか許せないとか思っても確かめきれなかったり、ごまかされ先延ばしにされ続けるうちに問題意識が弱まったりしてしまう面があったと思う。直接の実害が実感しづらい問題だから、政治家もその場しのぎの嘘を「有効な手」として使ってきたわけだ。

 

今回のコロナウィルス対応、とりわけ小中高校への休校要請については、国民の多くが日常当たり前に行っていた行動、1日の大半を占める活動~学業や職業~をやめる、という大変大きな内容だった、ということが最も大きな違いではないだろうか。

 

これではじめて、国民の側も、当事者・自分ごとになったといえる。

 

学校でも家庭でも職場でも大きな問題が次々と出てくる。各々が担っていた役割行動や、お金のやりくりも大きく崩れる。今まで経験したこともない判断や決定を差し迫られる場面が次々と目の前に現れてくる。

 

良くも悪くも、「自分ごと」になった途端に、本気度が上がる。それによって、嘘やごまかしでは逃れられない状況になり、この記事にあるような居直るしかない、という対応が生まれたのではないだろうか。

 

そういう視点でみると、コロナウィルスの問題は、我々国民にとっても大変悩ましい問題だけれども、政府のあり方を根本的に問いただす良い材料と言えるかもしれない。


それは、私たちひとりひとりにとっても、生活や政府のあり方、社会のあり方としてどういう形がよいのかをよく考え、建て直していくいい機会だということだ。

 

危機が身近に迫らないと本気になれない、というのは情けない限りだし、危機が迫って我先にと不足しているわけですらないトイレットペーパーを買い占める愚かな姿をみると、結局政府のレベルは国民のレベルの映し鏡なのだろうなとも思う。

 

我々がこのままのレベルであるなら、甚だ不謹慎ではあるけれどコロナは簡単に収束しないでもっと痛い目をみたほうが良いのかもしれないとさえ思える。


簡単に収束して、原発事故の嘘やコロナ罹患者の嘘をそのままにしてオリンピックを開催するよりも、オリンピック開催ができないくらいの事態になってくれた方が、昭和時代の遺物のような「寄らば大樹の陰」が、もうとっくに幻想なのだと気づく人が増えるかもしれない。

 

今回の小中高校休み要請で、なんだかんだ今の政治に問題はあっても、日々学校や仕事に通うとか月々の給料が入ってくるとかいうことは今までどおり続くだろう・・・という幻想がいともたやすく壊れてしまった。

 

でもこれは、コロナがきっかけで露呈しただけで、とうに限界がきているのが今の「しくみ」だということ。日本は世界一の外貨保有国でその額は300兆円もあるのに、こういう危機発生時にまったく動かせない活用できない。そういうしくみを変える作業をせずに、「今さえよければいい」と嘘を重ね場当たり的な対応で問題を先延ばしにし続ける・・。

 

追い詰められてようやく少しだけ対応が変わる程度の政治家の姿は、そのまま我々国民の姿だともいえる。あの311の大災害と今も続く原発事故ですら社会のあり方を変革しきれなかった私たちは、コロナの危機で今度はどれくらい学び変革をしてゆけるだろうか。

 

コロナ騒ぎの影で、福島原発の汚染水を海洋放出することにIAEAが賛同するかのような話が進められているという話もある。

 

私たちが気づくのがはやければはやいほど、被害は小さくおさまるだろうし、変革に伴う痛みも小さくてすむだろう。

 

あと1週間ほどで、あの日から9年が経つ。

 

9年もかかってこれか、とも思う。

 

僕の中で設定していたタイムリミットはとうに過ぎてしまっていて(それでも続いていることには感謝しかないが)、今はあまりこの世に未練はないくらいになってしまった。