愛を注いで来た人、

数ヶ月
数年

そんな人から、あっさり嫌われた一年でした。

愛に見返りを求めるわけではなく、自分の悪かったことを詫び、相手を裁かないで、お付き合いしてきた人たち、時間を提供したり、悩みを聞いたり、喜怒哀楽を共に分かち合い、これからも仲良く続いて行くはずの人。

愛は伝わらなかった。

しかし、がっかりしていません。

愛は注いだし、また、注ぐ準備はあります。
愛を受けとるか、取らないかは、相手の気持ち次第。

要するに、私の愛に満足がいかなかったのだと思うだけ。

相手が望むような愛でなかっただけです。
愛が伝わらないからと、嘆くのでもなく、失望したりせず、または、相手に泣いてすがったり、相手の望む愛を探し求めるのでもない。

「愛した」という行いを喜びますましょう。

"「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。"
ヨハネの黙示録 2章19節

終わりの日は確実に近い。
ですから、愛、信仰、奉仕、忍耐を育てて行きたい。

結果は、主のものです。

"隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。"
申命記 29章29節