ただ今、やっている
次元変更3か月伴走コースの一コマ。
こういうことで悩んでいる方、すごく多いだろうと思うので
ぜひ読んでみてください。
Pさんの今の課題は
お母さんを家で介護することにストレスを感じ、
高齢者ホームに入所させてしまった、という
罪悪感を拭えないこと。
その前から、お母さんに対しての
ネガティブな思いをどうしても手放せない
というものでした。
Pさんは、ずっとお母さんのために
動いてきた人なんですよね。
そのために、自分が我慢してきたことも
いっぱいあったんだと思うんです。
そういう過去からの積み重ねが
介護が必要になっってきた今
どうにもならないストレスとして
現れてきてしまったんですね。
お母さんに感謝できない自分
愛の表現をできない自分
ホームに入れちゃった自分
こんな自分を「愛の足りない人」と認定し
自分を責めまくってた。
こういうふうに自分を責めてしまう方って
多いなあと思うんです。
でも、よく考えて。
本当に
「献身的に介護する=愛」
なのですか?
献身的に介護する人を見て
「私はそんな献身的にできない・・」と責める。
ここにきてコロナのことがあり
ホームにお見舞いに行くのが禁止になって
「ほっとしている」自分がいる。
これも、「こんなふうに思ってしまう自分はダメ」とする。
ほっとしちゃダメ、って思ってるんですよね。
でも、そう思うのは今までお見舞いに行ってたからですよね。
行きたくないなあと思いながら。
私は、介護福祉士でもあるので
介護の現場を知ってます。
家族の葛藤もたくさんたくさん見てきました。
だからこそ、こう思うんです。
「介護は専門家に任せてもいい」
って。
堂々と預けたらいいし
堂々と自分の生活を優先したらいい。
それは何も悪いことしてるんじゃなく
それが双方にとっての「幸せ」なのかもしれないから。
(もちろんそれが全てではないです)
視点の持ち方として
少し距離があることで、自分の心の安定が保たれ
冷静になれるのであれば
それは「愛」なのですよね。
まずは、自分が自分に愛を与える。
そして、冷静な自分なら
お母さんに対して、感情に惑わされない自分でいられる。
そしたら、Pさんはこうおっしゃいました。
「お母さんが私を生んでくれたことを感謝してる」
「お母さんが私の子どもたちに愛をくれたことを感謝してる」
さっきは感謝できない自分を責めてたけど
少し視点を変えたら感謝している側面を発見できる。
この感謝している部分が
「愛」なんだと思うんです。
だから、愛が足りないのではなく
そこに愛はあるのですよね。
これを自分に発見させてあげる。
あ~私の中に愛があったわ~~♡
って。
あるのにないことにしたのは自分。
あるでしょ、そこに愛は♡
そこをスルーしないで見つけてあげて
心の中だけにしまっておかないで
この世に出してあげて。
自分の中の愛に気づき
それを表現していくだけで愛は循環する。
あることを認め
あるという表現をすることを自分に許可してあげてください。
もう、ないことにしないでね。