13年前の3月11日金曜日の朝――。いつものように家族で朝食を囲んだ。自宅を出ていく家族と、「行ってらっしゃい」「行ってきます」と言葉を交わした。 【写真】「代わりに…」 膝まで海につかり、花を手向ける女性  それは、次の日もその次の日も、当然やって来るものだと思っていた。  でも、あの日を境に、その日常はなくなってしまった。誰かの父や母、夫や妻、息子や娘、きょうだいだった約2万人の命とともに。  11日、東日本大震災は発生から13年を迎えた。  この日の朝、慰霊碑や浜辺には、大切な命に思いを寄せながら、祈りをささげる人々の姿があった。  宮城県気仙沼市の慰霊碑を訪れた畠山邦彦さん(40)は父の春来さん、母の良子さんら家族4人を失った。「13年たつと家族のことですら忘れることがあり、月日の流れを感じる。今年も来たよと報告した」。小野寺憲二さん(56)は静かに目を閉じて手を合わせた。母のサチ子さん、兄の節夫さんを亡くし、「13年はあっという間だったけど、なんとか生きてるよ」と声をかけた。  犠牲になった子どもたちを供養する同県東松島市の地蔵尊。住職の石川幸秀さん(50)は手を合わせて、こう話した。「志半ばで亡くなった子どもたちのことをずっと思っています」  福島県いわき市の薄磯海岸には、太平洋から昇る日の出に向かって、手を合わせる人たちがいた。2011年にボランティアで訪れて以来、毎年来ているという東京都文京区の上田泰正さん(64)は「震災後に亡くなられた方もいて、自分が元気なうちは通い続けたい」と話した。  同県浪江町から郡山市に避難している五十崎栄子さん(75)は、避難中に自殺した夫喜一さん(当時67歳)の遺影に話しかけた。「これからも私たちは生きていかないといけない。見守っていてね」  岩手県大槌町の町役場跡地では、遺族や町職員らが参列して合同追悼式が行われた。倉堀康さん(40)は町職員だった兄の健さん(当時30歳)が犠牲になった。「自分たちと同じようなつらい思いを次の世代にはしてほしくない。忘れないように伝承していきたい」と語った。  同県陸前高田市にある慰霊碑を訪れ、津波の犠牲になった義母のヨシヲさんと妻の真知子さんの名前を優しくなでた菅野一喜さん(72)。「女房は若い時のまま、今でも夢に出てくる。心残りだらけだね」とつぶやいた。  東日本大震災は11年3月11日午後2時46分に発生した。三陸沖を震源とする国内観測史上最大となるマグニチュード9・0を観測し、巨大津波が沿岸部を襲った。関連死を含む死者・行方不明者は2万2222人。【猪飼健史、北山夏帆、手塚耕一郎、宮武祐希、玉城達郎】

(毎日新聞)

 

世界で規模が大きい地震

 

上記の記事でもわかるように、世界でもトップクラスの規模の地震です。地震そのものより、その後の津波による被害が大きいのも特徴です。10m以上の津波は必ず来る!と唱えていた学者さんも多くいましたが、政府関係がそんな津波は来ない!とかで防波堤の設備もしてこなかった結果がこの大きな被害をもたらしたので、これは人災です。地震規模を示すものも日本はどこ?となるほど隠れてしまうほど大きな地震も来る地震大国です。つまり、原発などもってのほかである発電方法です。チェルノブイリ、スリーマイル、福島など、原発の危険性も示しています。原発は決して安全ではありません。それなのに、岸田政権は,再開どころか、新規に増やそうともしています。本当にそれでいいの?

 

亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、行方不明の方々も速く見つかる事をお祈りします