本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀。羽柴秀吉が雇い入れた野武士に討たれたのは、本能寺の変の11日後のことです。光秀三日天下というのが広く知られ、三日坊主から、長続きしないこと。あっという間のことと思われがちです。

が、これは大きな間違えです。では、なぜ三日天下などといわれるのでしょう?

NHKドラマの11日というのが間違っているわけではありません。民放ならこのようなチョンボはよくやらかしますがww

 

 『明智光秀三日天下』というのが広く知れ渡った理由は・・・

明智光秀が本能寺の変の後に生きていた11日間のうち、京都で政務を執ったのが三日間で、あとは軍事など別の事をして過ごしています。

そう、つまり、光秀が京都での政務期間が3日でこれを天下を握った期間として三日天下とう言葉が出来たということになります。

 

※本能寺の変の後、明智光秀の行動については謎が多く、いろんなことが言われています。しかしながら、三日天下の由来とは関係ないので、ご了承を。

 

 

 

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