いまや日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の最年少・田中みずき。大学生の頃、師匠に弟子入りしたのち、30歳で独立を果たした。「この技術がなくなるのはもったいない」銭湯の数が減っていく現状をどう思うのか。後継者はなぜ現れないのか。銭湯シーンの最前線にいる彼女に、職人としての思いを聞いた。

――そもそも、田中さんが最初に銭湯の背景画と出会ったきっかけは何だったんでしょうか?

田中:大学で美術史を専攻していて、卒論テーマにたまたま選んだのがきっかけ。実はそれまで、まともに銭湯に行ったこともありませんでした。横尾忠則さん、福田美蘭さん、束芋さんなど、私の好きな美術作家の方がみんな銭湯の背景画をモチーフにしていたので興味を持ったんです。

――背景画のどんなところに魅了されましたか?

田中:もともと私は高校時代から、映像などのメディアを使ったインタラクティブ・アート(鑑賞者が参加することで成立するアート)がやりたくて。銭湯の湯船に浸かりながら背景画を見ていると、湯気に包まれた自分の体が、まるで絵の世界の中に入っていくような錯覚を感じて、こんな絵の鑑賞の仕方もあるのかと感動しました。自分がやりたかったことに通じるものを感じたんです。

――なるほど、絵と一体化してお風呂に入ることをインタラクティブ・アートととらえたんですね。それにしても、なぜ自分自身が絵師になる道を選んだのですか?

田中:私が弟子入りした中島絵師は、リズミカルに踊るように絵を描く方で、みるみる塗り替わっていく様子が見ていて本当に楽しかったんです。長らく弟子は取っていなくて後継者もいないと聞いて、この技術が失われてしまうのはあまりにもったいないと思い、誰もいないなら自分でやるのが早いだろうと。

――これまで絵師の後継者が誰もいなかったのはなぜなんでしょう?

田中:習っていた方はいても、高齢化やケガなどでやめてしまったのだと思いますが、実はよくわかっていなくて。かつて絵師は広告社に所属し、広告費で絵を塗り替えていました。今でも古い銭湯だと、絵の下に近所の床屋や歯医者の広告が出ていますよね。でも、銭湯の数自体が激減して広告として成り立たなくなり、経済的にやっていけなくなったという事情も大きいと思います。私も、「これでは食っていけないから」と最初は弟子入りを断られたんですが、別で仕事を持つことを条件に、見習いから始めさせてもらいました。

※このインタビューは8/1発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【田中みずき】
’83年、大阪府生まれ。明治学院大学で美術史を専攻し、在学中の’04年に銭湯絵師の中島盛夫に弟子入り。’13年に独立後は日本唯一の女性絵師として、便利屋を営む夫とともに、銭湯をはじめ個人宅、店舗、介護施設など全国各地でペンキ絵を制作している

取材・文/福田フクスケ 撮影/スギゾー 撮影協力/江北湯

日刊SPA!

 

 

 

 

ある意味では、伝統文化と言っても過言ではないでしょう。この技術はなくなるのは惜しいです。が・・・銭湯そのものも少なくなっていますからね。全体的仕事量の問題もあります。

 

 

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