前回の続き。
娘の友達のお蔭で、
ポッキーを迎えた日付が分かったので、
その日を調べると。
(全然、記憶にないけど、
その日は、とても大きな事が起こった日で、
それ以外にも、その年は大きな事の年で、
なんだか、意味深だなと感じた。)
日付判明ということは、
毎度のホロスコープ調べてみ!やなと、
まず、太陽のサビアンを見て。
魚座30度、
「巨大な石の顔」。
魚座30度って、
各サインを360度巡り、
各サインの最後の最終度数で、
それだけでも、感じるものがあって。
で、このサビアンは、
終わりと始まり、生まれ変わりを、
伝えるサビアンであり、
強い強い強烈な意志を想いを、
巨大な石に刻み込み、
生まれ変わる岩戸が開かれる日、とのこと。
そんな日に、
私は、無意識に彼の強い強い想いを、
手繰り寄せるが如く、
ポッキーを迎えていて、
なんか、それだけで、深く納得。
やっぱり、
彼はポッキーとなって、
ポッキーに託してたんだなって。
本当の想いを、
真の愛を思い出せますようにって、
この日に刻んだんだと。
ポッキーを迎えた日を足すと、
「11(→2)」。
20代半ばの時、
最期に逢いに来た彼は、
約束の数字の「7」を伝えてくれて、
ポッキーを迎えた日は、
「11」で「2」であり、
それを、うさぎのポッキーに、
託してたんだと、この度分かった。
そうまでして伝えたい、彼の想いを、
私は、気づく事なく過ごしてきたけど、
それも、計画通りで。
娘の友達との出逢いのタイミングで、
彼の強い想いを知る、
ジャストタイミングの時が訪れたんだと。
時を経て、種明かしというか、
伏線回収し、答え合わせをする、
一緒に共同作業しているような感じ。
そして、うさぎの命名に、
ポッキーと名付けたのは。
小学生時代の友達の愛犬のポメの名前で、
そのポメちゃん、
すごく人懐っこく可愛いポメで、
尚且つ、ポッキーという、
名前の響きがすごく好きで😍
でも、、ポメのポッキー、
大型のわんこに襲われて、
亡くなったと聞いた時は悲しかった🥲
いつか大人になってペットを飼う時は、
ポッキーと名付けようと、
小学生の当時から、思ってて。
あれから10数年以上の時が経ち、
うさぎの名付けの時、
なんて名前にしよう?と巡らせると、
やはり、ポッキーがふと浮かんで、
ポッキーにしよう!と、秒で決定。
思えば、そう名付けたのは、
あの愛くるしいポメのポッキーの、
弔いも込めていたのかも。
こんな細やかなエピソードでも、
人は人に、そして、動物も人に影響を与え、
どの出逢いも必然で、完璧なんだと、
また改めて思った。
そして、
縁する動物がうさぎ、
名前はポッキー。
当時の流れが、
今のこの流れに繋がってて、
そこに彼の想いを秘められているとは知らず、
時を経て解き明かされ、
込められた想いや意味に、
毎度ながら、心震えてしまう。
そして、
キッチンに何気に置いてた、
不思議化初期に貰ったサトちゃんサンタ、
母の日に娘から貰ったうさぎの造花。
うさ耳は「11」っぽくて、
サトちゃんサンタコスプレと、
写メを撮りながら、意味深を感じ、
それに加え、あれ?っと思ったのが、
山羊の絵柄のコースター。
娘が台湾留学時のお土産で、
山羊のコースターをくれて、
可愛い絵柄なので飾りたいなと、
たまたま、ここに飾ってて。
うさぎ(+うさ耳)、サンタサトちゃん、
山羊座を彷彿する山羊のコースターを、
ここに集結させているって、
どれも、無意識の行動だけど、
今となっては、意味深を感じる、
この組み合わせのこの子達。
そして、
何気にキッチンに飾ってたのは、
彼は、料理人を目指していたから、
そことも繋がってたんだなと、
今更、気付くという。
たまたま、貰ったものだけど、
この子達も秘めたるメッセージを、
内包してくれてたなんやなと、
記録を記しながら思った。
話が大幅にズレたけど、
話をホロスコープに戻して。
最初に書いた、
壮大な節目の太陽サビアンは、
まさしく、そのまま過ぎて腑に落ち、
次に目が合ったのは、海王星、、
(次いで、金星)
取り敢えず、海王星から。
海王星サビアンは山羊座26度、
「水の精霊(妖精)」
このサビアンタイトルを見た瞬間、
水!!と、彼を感じ、
海王星と目が合ったこと、、
そういうことかと、腑に落ちた。
特に、星見当番さんの解説が、
わかるー!と、響いて😭
以下↓響いたとこの抜粋。
滝はそこにある。落差があり、そこを水が落ちる。見ることも、触れることもできる。霧もそこにある。見ることができるし、触れても手応えはないが長時間接していれば湿る。虹は光線の具合さえよければ見ることはできる。水の精は、見えるか見えないか、いるかいないか曖昧だ。
いると思えば、いるような気がする。見えると思えば、見えるような気がする。いない、見えないと思えばそんな風にも思える。確実なことは言えないが、そんな確実ではないものが、たとえば滝のように目で見て触れることもできる何ものかに関連づけられて語られる……こともある。
そう、、
あの時の不思議な出来事から、
いると思えば、いる、見える、
いないと思えば、いない、見えない、、
そんな曖昧な存在になった彼は、
ポッキーを迎えた日、
目に見えない曖昧なものを象意する、
海王星のサビアンに、
そのままの意味を託していて。
目に見えなくとも、
俺は、確かにいる、傍にいるからね、
そう伝えていてくれたんだと。
どんなに時間が経っても、
彼の存在、こればかりは、
生涯、永遠に忘れることはない、
私の心の中にある、確かにある存在。
心から無くすことは不可能で、
ずっと、私の中にある、
愛しいひとを愛しく想うエネルギーは、
目には見えなくても、
消えることなく、深く存在し続けて。
だから、いるようないないような、
滝の霧のように、曖昧不確実だけど、
時を経て思えば、ポッキーの姿に託し、
私の知る彼の姿は、もういなくても、
水の彼として、確かにいてくれたんだと。
彼からの愛は、
どうして、こんなにも切ないのだろう🥺
そして、その海王星を、
私のネイタルに重ねて、
トランジットで見てみると、
私のN太陽冥王星合に、
T海王星が120度繋がっていて。
私の出生に刻んだ、
太陽冥王星の想いの実現に、
見えない姿で応援に入った!と、
伝えてくれているように感じ。
そして同時に、
トランジット冥王星(逆行)は、
彼のネイタル海王星の涙の度数、
蠍座30度ハロウィンサビアンに、
ピッタリ合していて。
限界を超えていくサインの蠍座を振り切り、
射手座へ行け!と振り切る、
蠍座最後のポイントに、
死と再生の冥王星がいるのは、
生まれ変わりを表現しているかのよう。
彼は、この辺りのタイミングで射手座に入り、
射手座は、高等教育の意もあり、
射手座で、ずっと、見守りサポートし、
私を待ってくれていた、、
のかもしれないな。
で、も一つ、加えると。
この日の冥王星は、
上に書いた生まれ変わりのサビアンの、
魚座30度の太陽とも120度。
共に、生まれ変わりのエネルギーで、
嬉しそうに調和しているから、
もう、これは生まれ変わりを、
伝える日であったんだと、
星のメッセージから、深く確信した。
今日は、ここまで。
あー全然、思うように書けないな、
あちこち繋がり過ぎる。
日々の日常から更新されていくネタが、
あまりにも多過ぎて、
感じることも多くて、
それら全部が繋がってるが故、
書くことも追いつかなくて、
溢れ落ちていく。
その様に、無常を感じる、
この言葉が、しっくりくる心境。
☺︎