マッハに過ぎた、さくらんぼの季節、

いつの写メやねん的な、

4月の終わりに色づき実った、

お散歩コースの、可愛いさくらんぼ🍒



あまりに、キュルキュルツヤツヤと、

瑞々しいお姿にキュンとしたのだった😍



今回は、前回書いた、
娘のお友達の要望が発端となったお蔭で、
明確になったことから感じた、
繋がりの諸々を、記しておこうかな。


娘のお友達が滞在中、
お母さん、お願いがあります、
りぃの小さな頃の写真を、
見せて下さいと、リクエストされた。


(私の手が空いたら)後で見せてねと、
何度も何度も口にして、
すごく見たかった模様。


手隙の時、
仕舞い込んでたアルバムを取り出し、
見せてあげると、可愛い〜の連呼で、
娘の笑顔の写真に目がいくようで、
笑ってる、Smile!
これもいい笑顔、こっちも笑ってる!
笑顔が全然、変わってない!!と、
とても嬉しそうに喜んでくれた。


この時点で、なんか、
遠い昔を思い出すような感覚で。


若き日の彼も、
私の子どもの時の写真を見て、
可愛い可愛い😍と連呼して、
嬉しそうにしてたなって。


そして、わらわら\賑やか/に、
アルバムをめくっていくと、
私は、ある写真に目が留まった。
  

あれ?と、瞬間的に感じ、
これは、、匂うな。


その写真は、
うさぎのポッキーを迎えた日の写真で、
見終わったアルバムを仕舞う前、
やはり、妙に気になったので、
改めて、眼鏡をかけ(笑)よく見ると、
ご丁寧に、迎えた日付を記していた。


これまで、
ポッキーを飼い始めた年とか、
具体的な年月日、覚えてなくて。


感覚的にぼやっと、
娘が2〜3才の頃かな?のザックリ感と、
そして、7年間生きてくれて、
うぃるを迎えた半年後くらいに、
虹に橋を渡ったと記憶してる程度。


それが、長い年月を経て、
ひょんなことから、
日付が明確になった運びに、
あれ?っと、不思議な感覚になったし、
同時に、また別のあれ?っと感じ。


ポッキーを迎えたのって、、
あの日の後日の事だったんだと。


あの日とは、
以前にも書いた、娘が3歳の頃、
昼寝中に、不思議な金縛りにあい、
革のライダースとデニム姿の若い男の人が、
背後に立っているのを見た日で、
彼が、最期に逢いに来たんだと感じた日。


彼が逢いに来てくれた後の間もない日、
ポッキーを迎えていたことを、
アルバムの写真が教えてくれた。


恐らく、あの不思議な体験前後から、
ママ友うさぎブームが始まり、
うさぎの可愛さに目覚めた私は、
うさぎを飼う流れに運ばれていて。


そのブーム頃、友人との集まりの席で、
うさぎ飼育反対の味方を得たいのか、
小馬鹿にした口調で話す、
旦那さまに逆ギレし。


腹立つので言い返してると悔し涙が流れ、
それが功を奏し、了解を得て、
速攻、お迎えしたんだよなぁ、懐かし。



この度、
ポッキーを迎えた日付が明確になり、
やはり、ポッキー、、うさぎを迎えた事は、
単なる偶然ではなく必然で、
というか、必然もなにも、
ポッキーは、彼のエネルギーなんだと。


うさぎの姿に生まれ変わったというか、
伝えたい想いをポッキーに託し、
そばに居てくれたんだなって。


話は、ズレるけど、
以前にもチラッと書いたな。


昨年の年が明けた頃、
いきなり、うさぎ年、卯年が、
妙に、気になって検索した時。


当時は、心のホームの帰還を、
感じていた頃で、
なんか、記事の内容がわかるなと思い、
なるほどなと思っていたら、
3月6日、彼が帰還。


2023年の卯年は、
癸卯(みずのとう)の年らしく、
癸卯とは、生命の終わりや、
次の新たな生命の成長という、
終わりと始まりの意味や、
大地を潤す恵みの水などの意味があるそう。


彼は、私にとって、
歓びから悲しみまで網羅する、
私を潤す水そのもの、心の水、
水を司る存在で水の神でもあって。


彼は、私の恵みの水、
わたしの命の水そのもので、 
その水の彼の帰還は、
癸卯とシンクロするように、
新たな始まり(真の春の始まり)を、
意味していて、、


浜省さまのお蔭で、
3月6日の光の柱は、彼が帰還だと自覚した、
歓びと悲しみの涙に明け暮れてたあの頃、
あぁ、うさぎ年、卯年が気になったのは、
そういうことなんだと。


納得というより、すとんと腑に落ちて。


そして、
時期的にイースターが近いこともあり、
お店のディスプレーと目が合い、
なんか、イースターも匂うなと、
サイトを見てみると、
卵🥚は、言わずもがな、
うさぎ🐰も復活の象徴とのこと。


卯年の癸卯と終わりと始まり、
イースター的にも復活祭と、
昨年の私にとって、彼の存在の復活に、
共通してシンクロしてるのは、うさぎ🐰



そんな昨年、

ふと、うさぎのポッキーを感じたことを、

チラッと書いている。

(2023年2月19日の記事)



カルマナンバーの事など、

すっかり忘れていたから、

改めて、色々と自覚できたからよかった。



そして、書いているとね、

ポッキーがね、、浮かぶの。

(昔、飼っていたウサギ)



そしたら、閃いちゃって。



ポッキーを飼っていたのも、

ポッキーという名前も、

意味があったんだって気付いて、

ポッキーは、こんな大きな愛を放ち、

私は受け取っていたんだと思うと、

胸が詰まりそうになって涙が出てきた。



偶然に飼ったわけじゃない。

彼は、私に逢い伝えにやってきた。

私が思い出せますように、、って。



今、これ読むと、、


彼が帰還する前から、
ふと、うさぎのポッキーを感じ、
私、彼の想いを、しっかりと汲み取り、
ちゃんと感じているなと、
改めて、今思った。


昨年、そんな事を感じた、
諸々の経緯があったからか、
この度のアルバムの写真の日付を、
見つけた時、
「復活」と、すぐ観じたんだよね。


あの時、彼の金縛りの後に、
ポッキー、うさぎを飼ったのは、
(2023年の)卯年で復活すると伝えたくて、
ちゃんと還るからね、待っててねと。 


その通り、彼は、
目には見えない姿だけど、
私の中の意識、エネルギーとして、
還って来てくれた。


単なる、うさぎを飼い始めた、
ただ、それだけのことだけど、
その裏には、仕掛けを仕込み、
全てのタイミングを合わせるように、
ずっと前から伏線を施されていたんだと。


そして、やはり思うのは。


あの金縛りの日、
私は、「7」を感じたこと。


その「7」を感じた後の日に、
我が家に迎えたポッキーが、
7年生きてくれたのも、
上の記事を書いた時、
カルマナンバー「16」から、
ポッキーが浮かんだのも、
そこには、「7」で繋がってるなと。


彼は、金縛りで「7」を伝え、
「7」をポッキーで表現し、
時を経て、再び、魂の約束を思い出せるよう、
色んなものに忍ばせて。


「7」は、約束の数字。


まだ、記録しておきたいことは、
ちまちま、あるけど、
地味にあちこち繋がってて、カオス。


とりあえず、今日はここまで。


☺︎