あちこち散らばる欠片小話、
沢山、ありすぎるようで、
毎度ながら、どれから手を付けるか、
頭が動かないから、
反対に、書きたいことがなさ過ぎて。


あり過ぎて無さすぎるのよな。


ほんなら、思いつくものを、
メモして整理したらいいのにって、
思わんでもないけど、
整理するのも嫌やねん、という、
もう、なんちゅう素敵な体たらく。


整理することによって、
固定化されていく感が窮屈で、
もう、人間末期やなと、
自分に、ツッコミたくなる。


取り敢えず、今、浮かぶ、
どうでもよい小話にしよかな、
そうしよう。


先日、
両親と彼のことを書いたからか、
あ、ちゃうわ、もっと前、
昨夏頃かな、ふと思ったことがあった。


彼と出逢えたのは、
両親が、高校進学を、
強く薦めてくれたからなんやなと。


私は、高校進学してまで、
さらに勉強なんて、
もう勘弁と思ってたし、
中学出たら働いて、
養ってもらってる囲いから、
早く自由になりたかった。


でも、今思うと、皮肉だな。


幼き私は、
あんなに自由を渇望したけど、
養われている囲いは、
旦那さまにスライドして、
結局、あの幼き渇望イメージは、
未だ、実現していないという😇


そんな私だけど、
日々を重ねていると、
その時が訪れ実現するだろうなと、
なんか、もうわかってて。


そして、自由って、
実は、外的要素は関係なくて。


内なる心の自由に気付くことが、
真の自由へ導き在れると、
今の私は、体感しているので、
あの幼き渇望エネルギーは、
いい感じに成熟してきたように思う。


話を戻して。


進路を決める秋頃、
私は、高校は行かない、働くと、
両親に主張した。


姉は、私のような駄々捏ねることなく、
当たり前のように進学したので、
両親は、どうしたもんかと大慌て。


特に母は、孤児院で育ち、
そのまま中卒で、大阪に集団就職し、
中卒で、女の子が働く大変さと、
中卒と高卒の扱いの差を肌で感じ、
子供には、高校だけは行ってほしいと、
切望していた。


が、私は、
可愛い反抗期絶賛中だったので、
母の意見など関係なく、
むしろ、そういう押し付けからも、
自由になりたくて、揺るがなかった。


そしたら、
父が私の部屋に来て、
穏やかに私の気持ちを聞き、
父の思うことを話し、
お母さんの気持ちも汲み取り伝え。


この時かな、
お母さんのいうことは、
4割は間違っていても、
6割は合っているから、
お母さんのいうことも、
聞いてあげなさいと言われたのは。


私が、それでも嫌だと言ったら、
父は、わかったと、
自分でそう選ぶなら、
そこからは、さおりの責任だと、
多分、私を尊重したと思う。


でも私は、
入退院を繰り返していた父に、
余計な心配はさせたく無いなと思ったし、
何より、頭ごなし感ゼロの父は、
しっかり聞く耳を待っていて、
穏やかに寄り添う温かさが、
頑な心を緩めて、実に匠の技。


私は、優しい父には弱い。


こういう部分が、
10年前、東京のカウンセラーから、
父にも責任があると、
言われた所以かもしれないな。


父の人徳という、
実は、隠れた権力者的な?


母には反抗できても、
父には、反抗する理由がなく、
父の完璧さは、見方によれば、
完璧すぎて不完璧なのかも。


うまく、反抗の手を緩めさせて、
反旗の旗を、自ら下ろした私は、
成長に大切な反抗が、
中途半端になってしまい、
それが、尾を引いたのかもしれない。


まぁ、たらればだけど。


書いてると、思わぬ発見があって、
気付きって、ホント面白い。


そして、魂の計画は完璧なので、
私の人生物語は、進学は既定路線で、
父のお蔭で、高校に進学。


そして、
私の進学した高校へは、
彼の出身中学からは、
学年で、彼を含め2人しか来てなくて。


彼の出身校は、
あの高校を選ぶ子は少なくて、
まるで、私に出逢うために高校を選び、
出逢うべくしての出逢いやなと。


そして、
父は彼に託すように亡くなり、
亡き後に、彼と出逢う。


父とのあの時の話し合いで、
高校進学の道へ方向転換し、
人生、、双魂の出逢いへ、
導いたんだなと思うと、
愛おしく感慨深い。


こういうの、
粗方、決めてきていて、
気づいてないところで、
そうなるように流れているだけで、
どんなことも、魂の完璧な芸術作品。


父の穏やかな権力に感謝。


だから、反抗が立ち消え、
中途半端に終わった幼き私を、
父なる権力を超えていく時を、、
この数年で、迎えているだと思う。



2月の出来事を問うた時のカード。


お終い。


☺︎