前回の続き。

 

 

娘が20代最初の頃、

娘ににじり寄られた、娘の疑問。

 

 

なんで、お母さん、

パパと結婚したん?

 

 

娘の幼少期の心の傷は、

父親との関わりの中、

パパの嫌な部分に遭遇する度、

枝葉を伸ばすように成長して。

 

 

その反対に、

お母さんがいなかったら、

りぃは、絶対グレてたと言うほど、

娘は、私からの愛情は、

すごく感じていたようで。

 

 

実際は、ただのポンコツ親だけど。

 

 

子どもの頃、質問された時は、

会社で出逢って、

りぃを授かって結婚したと、

普通に、事実をサラっと伝えてたから、

どこか解せない思いを、

何となく持っていたと思う。

 

 

で、このにじり寄られた頃は、

娘は闇の中で、自己否定の渦の、

しんどい時期を送っていて、

そんな時期だったからこそ、

自分のルーツみたいな、

何故、パパが父親なのか?

そんな気持ちが膨らんだんだろう。

 

 

娘の自己否定は、

父親との関係が根深いけれど、

実は、その根っこには、

私の過去が起因しているから、

娘が傷の原因は、私にもある。

 

 

パパだけが原因じゃなく、

その流れを作ってしまった私も、

同じ穴の狢なので、

ごめんねって謝らなきゃって。

 

 

娘は、嘘をつかないというより、

嘘をつけないという子だからこそ、

私も、娘に正直で在りたいなと思った。

 

 

私の過去は、

紛れもない事実の、

嘘偽りのない純粋な時間で、

私にとっては、とても大切なこと。

 

 

その話をすることで、

もし、娘が不快に思ったり、

嫌悪感を持たれたのなら仕方ないなと、

それも、心に置き、、

 

 

受け取り方によっては、

自分の存在をより否定しかねないので、

そこは、しっかりと伝えようと、

それも、心にしっかり置いた。

 

 

これまでずっと、口にすることなく、

秘めていた過去のことは、

墓場まで持っていくつもりだったのに、

まさか、娘に話す日が来るとは、

思ってもみなかったな。

 

 

20歳を過ぎて立派な大人だし、

今、知りたいと思う時を機に、

伝え謝った。

 

 

高校時代の大恋愛した彼がいて、

別れた時、お母さんの中で、

恋愛の時間は、その人で終わった、

この人以上に愛する人は、

もういないなって、

終わった瞬間、感じてしまってたから、

そこから、お母さんの暗黒期。

 

パパとの結婚は、

よくある、恋に落ちて、

ラブラブな結婚じゃなかったし、

(パパはウキウキしていたけど)

初めての子育てで手一杯だったし、

ずっと消えない彼を秘めてたから、

パパを、人としてならいいけど、

男性として愛することが、

お母さんには難しかった。

 

そんなお母さんだったから、

パパの一方通行の、

寂しい想いをさせてたと思うし、

傷ついてたとも思う。

 

そのとばっちりの欠片が、

りぃに刺さってしまったから、

パパだけ悪者じゃなく、

そもそもの原因はお母さんにもある、

りぃ、ほんまにごめんやで。

 

 

要約だけど、

こんな感じの話を伝え、、

 

 

娘を産もうと決心したエピソードも、

出産の様子も、

あなたを愛おしく想って育ててきた事も、

あなたのお蔭で、頑張ってこれた事も、

全部、話した。

 

 

娘は、

お母さんにそういう人がおって、

そんな感じで結婚したんや、

なんか、お母さんの気持ちは、

わかる気がすると言っていた。

 

 

そして、

りぃは、パパが自分の旦那なんて、

絶対、無理やから、

お母さん、すごいと思うわ!と、

逆に褒められた。

 

 

でも、パパのことは、

そうだからといって、

流すことはできへんから、

パパから謝ってほしい、

それは、変わらないと。

  

 

 「りぃ、ごめんね」

 

 

娘は、たったその一言で、

気が済むんだろうと思ったけど、、

 

 

旦那さまは、

こういう心を伴う家族事に、

向き合うことが苦手やから、

直ぐ解決は難しいやろな、

流れに任せるしかないと、

私の中で、着地した。

 

 

話し終えたら、

彼とのいきさつを、

娘から恋バナ的質問攻撃を、

嬉しそうにしてくるので、

それに答えていると、、

 

 

「いいなぁ~、

りぃ、○○○○君の、

子どもが良かった!!

なんで、○○○○君と、

結婚せえへんかったん?」

 

 

そんなことを言い出して。

 

 

『彼と結婚してたら、

りぃは、今ここに存在してなくて、

りぃと出逢われヘんかったやん?

パパと結婚じゃないと、

りぃとは出逢えないように、

なってんねんから、仕方ない。

 

(そっか、、と、残念そうな娘)

 

そもそも、りぃが、

パパと縁を繋いでくれたから、

こうやって今も夫婦でいられるし、

縁って不思議やな。』

 

 

当時、そんな話をし。

 

 

彼のことや出来事を、

全て話したわけではないけど、

搔い摘んだ程度に、

彼は、もういないであろうことも、

娘には話した。

 

 

何度も書いているけど、

この話をしたのは、

娘が20代の最初の頃で。

 

 

この話をして以来、

私は、彼のことを娘に話したり、

逆に、娘が聞いてきたりという事はなく、

この時ポッキリの話で終わった。

 

 

で、この記録を書きながら、

思い出したことがあって。

 

 

今年の5月、

娘が東京から帰って来た時、

迎えに行った車の中で、

娘が近況話を聞いていて、

逆に、私の近況を聞かれたので、

3月に○○○○君が還って来て、

びっくりしたわーと話をした。

 

 

娘は、何言うてんの?と、

不可思議な顔をしてはったけど、笑

 

 

「あ、でも、お母さん、

○○○○君のことを話しするの、

あれ、めっちゃ前よな?10年前くらい?

りぃが20歳過ぎ位やったよな?

久し振りに、○○○○君の名前聞いたわ。

あれ以来、お母さん、

全然、○○○○君のこと、

一言も話せえへんかったから、

その話、噓やとも思ってへんで。」

 

 

こんな会話を、思い出し、、

 

 

あれー確か、20代初めって、

もしや、2012年かな?と、

(娘が21歳の頃)

ふと、思った。

 

 

あの頃は、

一緒にお伊勢にお参りしてた頃で、

確か、そんな頃だったなって。

 

 

そう思い出してたら、

改めて2012年って、彼が深い深い所で、

静かに密やかに、うごめき始めてた、

そんな年だったのかなって感じ。

 

 

2012年は、

秦基博くんのアルタイルの詩で、

彼を思い出し、瀕死になったり、

母から、彼の手紙を渡されたり、

私にとっての変容スイッチとなる、

「久高島」の写真を、

娘からもらったり、

上に書いた、彼のことを娘に、

話をする運びになったり。

 

 

2012年は、日常の中から、

彼が掘り起こされる、

密かに、そんな年だったのかもなと。

 

 

これは、きっと、

その数年前、当時の親友から、

私はアセンションの準備が、

できているって言われたことと、

関係があったのだろう。

 

 

私にとっての2012年は、

それが始まりだした時、、

なんだろうな、きっと。

 

 

娘に話した、

あれから(多分)11年経ち、

娘以外に、彼のことを、

話をしたりしたことは、ほぼないけど、

一つ印象深い事を思い出した。

 

 

20代半ば、金縛りで彼を見た時、

娘のスイミングの日だったので、

あまりに信じられなくて茫然で、

ママ友が、どしたん?と聞かれて。

 

 

その不思議話を話し、

忘れられない元彼だと感じてんなと、

いう話をして。

 

 

あの時、そのママ友も、

元彼が、忘れられないって、

一緒やな、わかるわーって言われて。

 

 

で、確か、

その金縛りの前年秋、

旦那さまがぶどう狩りに行こうと、

娘と3人で出かけたことがあった。

 

 

その帰り、偶然なんだけど、

旦那さまの運転で、

たまたま、彼がバイトしてた、

お店の横を通り過ぎて、

その瞬間、バイト先の看板と目が合って、

ドキッと心臓が止まりそうになって、

鳥肌立ったことがあった。

 

 

私は、その辺には一度も行ったことなく、

お店の名前も彼から聞いてただけで、

土地勘もないから、

どこにあるのか知らなくて。

 

 

でも、特徴ある店名と料理ジャンルとで、

彼のバイトしてた店だ!って、

すぐ、わかった。

 

 

その話を、

金縛りの話ついでにママ友に話したら、

彼を探しに行こう、

その店、一緒に行ってあげるって、

言われたことがあったなぁ。

 

 

丁重に断ったけど、懐かしい。

 

 

そして、ママ友と話を深めたら、

ママ友は忘れられない元彼と、

当時、絶賛不倫中だったという、

オチもあったけど。

 

 

で、そういや、そのママ友と同じこと、

11年前?のあの時、

娘にも言われたな、と。

 

 

○○○○君、

探そうやって。

 

 

自分でも、不思議なんだけど、

大好きで愛しくて、

ずっと心は変わらないのに、

(何度も書いてはおるが)

あの瞬間に戻りたいと、

思うことはあっても、

彼を探し出そうと思ったことなく。

 

 

本気でそうしたかったら、

私は、とっくに行動してるし、

そもそも、別れた時点で、

もう、逢えない、、って、

自分の中で終わったことを、

深い所で分かってたからなぁ。

 

 

なので、探したいとか、

安否を確認したいとか、

そういう感覚がないだけに、

人がそういう風にいう事が、

なんか、不思議だった。

 

 

でも、それが一般的で、

私は、そこからズレてんだろうなと、

今の私なら納得できる。

 

 

元々、私は巫女的体質を持っていて、

それに、全く気付いてなかったけど、

不思議化して、

薄々、そうなんだろうなーと。

 

 

ほんで、ゼロを経て、

明け渡しの命を受けてから、

敢えては書かなかったけど、

巫女方向へ向かってるなーと、

感じていたら、、

 

 

彼の帰還で、もう自覚した、

わし、巫女やんって。

 

 

物質×物質ではなく、

魂的には生粋の巫女体質、

物質×精神の人なんだと思う。

 

 

お伊勢さんや久高島は、

私にとっての巫女的役割の覚醒の、

そのスイッチを入れる役目の聖地で、

人を使って導かれたんだと。

 

 

そういう体質だから、

結婚夫婦生活が苦しく、

自分の体質に無理を強いてたんだなと。

 

 

また、話が脱線してもうた。

 

 

本当は、

別のことを書こうとしてたのに、

その話は、次にしようかな。

 

 

あ、因みに、

もう一つ、大事なオチを思い出した。

 

 

今年5月の娘が帰って来て、

帰りの近況話の時、

娘が、こう話していた。

 

 

「東京にいた時、

パパが、りぃに謝ってくれたで。

パパとの親子関係で、

昔みたいな感情もないし、

そういうことで、

もう後悔することはないな。」

 

 

それを聞いて、

遂に、旦那さまは、

娘に、謝ってくれたんだなって。

 

 

旦那さま、えらい偉い!!

って思ったし、

良かった良かったって、

思ったとさ(*´ー`)

 

 

☺︎