前回の続き。

 

 

今回は、

心に仕舞ってた想いと、

過去からの繋がりの背景も併せて、

心の整理がてら、織り交ぜ記録。

 

 

先週の金木犀。

 

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では。

 

 

2022年元旦早々の深夜、

色々、想い巡りまくった、

朝方の微睡で感じた、

 

 

「想いを伝える」

 

 

先延ばしするのではなく、

今、このタイミングの、

「1月1日」という日に、

すぐ、実行の時だと感じ、、

 

 

その想いとは、

ここ数年、心に仕舞っていた想いで、

 

 

「いつか、

性の問題に限界が来たら、

それは、覚悟の時。

 

長年、心に横たわっている、

夫婦の性の結びにNOを、

真剣本気で突き付ける時、

ここ20年近く、発することのなかった、

「離婚」というワード、

その離婚のカードを切る。

 

心に仕舞い隠し持っていた、

私の想いを伝えよう。」

 

 

微睡は、

隠していたこの想いを、

表に出すよう、今が実行の時だと。

 

 

(ここからは過去の心の流れを、

整理しながら書くとする

 

 

2019年に顕在化した、

私の自立への恐れの部分。

 

 

あの時、

存在する価値のない私が現れ、

奈落の底に落ち、

生と死のベクトルを突き付けられ、

経済的依存のままでもいいと、

先ずは、生きていくことを決め、

導かれた先が、2020年のゼロの帰還で。

 

 

全ての瞬間のゼロの完全完璧さは、

言葉など越えていて、

この瞬間にただ存在し、

イケてようがイケてまいが、

どんなわたしも完全な姿で、

ただ委ねるだけでいいと悟り、、

 

 

経済的依存している自分を、

自ら非難している自分は滅され、

オールリセットされた。

 

 

この先の未来は、宇宙に委ね、

目の前に現る現象を、

すべてを受け容れる在り方へ。

 

 

生涯婚姻関係のパートナーでも、

別居でも離婚でも、

瞬間瞬間の自然の巡りで、

与えられるカタチがベストだと。

 

 

2020年のゼロで、

夫婦の在り方は、

天にお任せしてたけど、

性の在り方問題は残っていて。

 

 

問題の認識はしてるけど、

その問題すら、

その時のベストな在り方で、

問題解消が必要なら、

その問題に取り組むタイミングも、

必要な時に、与えられるだろうと。

 

 

その問題解消が来るときは、

2人の意見が交差することなく、

落しどころもない、

平行線の限界を感じた時、

2019年の生と死のベクトルに、

再び、向き合う時が来ると思ってて。

 

 

私の中では、その向き合う時は、

最終アンサーなので、

最後のカードを切る時でもあり。

 

 

2019年は、生のカードを切り、

この向き合う時は、

死のカードを切るみたいな、

イメージがあった。

 

 

上にもチロっと書いたけど。

 

 

私は性の結びが必要ないこと、

もう最初からわかっていたのに、

生命維持・養われるために、

「性」と引き換えざるを得なく、

不本意な想いと共に、

自分で鎖を繋いでいた。

 

 

その鎖を切るには、

養いというものを断つ、

私にとっては、

命すら手放す覚悟の宣言で。

 

 

(客観的にみても、

何で、そんな極端で大げさなん?

面倒くさい奴め、となるのだけど、

これは、今生だけでなく、

過去生の柵からきてるんだなと、

今年の変化から分かってきた)

 

 

それと同時にあったのは。

 

 

性の在り方で、

旦那さまの望む通りではない、

性を必要としない私といることは、

旦那さまの望む生き方の時間を、

奪っていることにもなる。

 

 

わたしの想いも伝えた上で、

旦那さまの未来を考えてほしいと、

心から想った。

 

 

その未来に、私が存在していれば、

婚姻関係のまま、それでいいし、

そこに私が存在しなければ、

離婚する、それでいいと思うから。

 

 

私にとって、

旦那さまは、色んな苦楽を、

乗り越え築いてきた夫婦であり、

親友であり戦友でもあり、

離れて暮らしてるけど、

いつも、そこにいるかのような、

かけがえのない大切な人。

 

 

上にも書いたけど、

いいとこも悪いとこも、

全部、受け容れられる存在。

 

 

なのに、

性の在り方だけが、

分かり合えないのが悲しいなと、

ずっと、想ってきた。

 

 

でも、仕方ないなって。

 

 

私のこれからの人生は、

性から解放されるというか、

人との性は必要ないイメージが、

ゼロを経た際にあって、

特に、明け渡しを命じられた時から、

実は、強く感じるようになった。

 

 

性に関することだから、

あえて、書かなかったけど。

 

 

このことも、

また、覚えていたら、

記録するつもり。

 

 

話を戻して。

 

 

あの元旦の微睡後、

心に仕舞っていた想いを伝える日が、

今日なのか、へぇーと、

傍観している私と、

本当に、伝えられるのかな、私?

半信半疑の自分もいて、

もう、流れに任せるしかないなと。

 

 

ただ、やはり、

そこのある想いは、

 

 

『私は、わたしの魂を、

護りたい、生かしたい、

ただ、それだけ。』

 

 

揺らぎの中だけど、

この想いは揺らぐことなく、

肚を括った覚悟の、

静清とした決意だけはあった。

 

 

今日はここでお終い。

 


☺︎