前回の続きで、
今日は、真夜中に巡っていたことを。
2022年1月1日、
大晦日から新年へ跨いだ頃、
私の燻り続けていた積年の問題、
わたしの性の在り方に火が付いた。
その問題とは、
我が夫婦あるある名物で、
これも、自動的に積年の攻防、
夫婦間のするしない問題。
この元旦は、
私の鬼嫁降臨どやしで、
一旦、鎮火したけど、
どやした本人は、想いが巡りすぎ、
ぐっすりとは眠れなかった。
その想いは、色々とあって。
一番大きいのは、
私は、どれだけの年月、
自分を殺してきたんだろうと。
変な話、
世の平均は知らないけど、
私が、したくない人間なので、
昔から、少ない方だと思う。
それでも、
こころには負担だった。
どこか魂を売っている感覚になり、
魂が死んでいくかのような、
その度、虚無の心を感じながら、
30数年、生きてきたけど、
これから先も、
ずっとこの想いを続けるの?と。
そう、自分に問うた。
「続けられないな。(即答)
わたしの魂、
ずっと護ってきた大切なもの。
ただ、護りたい、生かしたい、
本当に、ただ、それだけ。
とにかく、思っていること、
伝えるしかないな。」
話は逸れるけど。
2020年のゼロを経て、
全て宇宙に委ねるだけでいいと悟り、
(夫婦関係ももれなく)
宇宙から与えられるものを、
受け取っていくという在り方へ。
だから、
夫婦の形に拘りがなくなった。
でも、この頃はまだ、
性のことに触れるには、
超抵抗があって、
敢えて書かなかったけど。
実は、2020年の私は、
精神の対等を感じていても、
その精神の真逆の肉体部分の、
性の不一致感だけが、
対等になれてないことは、
痛いほどわかっていて。
それと、こんな思いも、
時間を追うごとに芽生えてきた。
「私たちの性の対等って、
難しいなと。」
私に肉体的な性欲がないから、
旦那さまが、
中性に変容するしか道はないけど、
それも、難しいな。
何だか私は、
旦那さまの人生の大事な時間を、
奪っているみたいに感じるように。
嫌々なパートナーより、
快いパートナーの方が、
そりゃ、いいに決まっている。
その想いが強くなってはきたけど、、
先ず私は、「ただ生きること」を、
私に課せられた大義名分のように、
これも、2019年、2020年と、
何度も、すごく感じて。
「わたしが在るには、
まず、ただ生きる。」
これも、心に置いていたので、
旦那さまの人生の時間泥棒案件は、
申し訳ないけど、先送りにしてた。
いつか、
そこに向き合う時は、
来るだろうなと感じながら、、
それすら、お任せやなと、
時が来たら、取り組む時だと、
密かに覚悟していた。
で、その通り、
夫婦の性の問題に向き合う時が、
宇宙から与えられた。
で。
2019〜2020年の当時の私は、
何でか分からないけど、
この性の問題は、
生きるか死ぬか位の、
2択の感覚があって。
(今の私は何となく分かっている)
ここに向き合う時は、
その2択が発動するだろうなと、
感じていたから、
いよいよ、ほんまに、
その究極の時が来たかと、
眠つけない夜に、
感慨深い不思議な覚悟感が湧いた。
こんな感じで、
色々、想いが巡り巡った夜から、
朝方の微睡の時へ。
長くなるから、
また、次に。
☺︎