7月の揺らぎで、

書こうと思ってた2つの話。

 

 

幼い頃のある光景

・ピークが7月17日の日

 

 

前回、その一つ、

7月17日のピークを記録したので、

今日は、同じく7月17日のピークに、

ふっと浮かんだ、

「幼い頃の光景」についての記録を。

 


では。

 

 

7月の手紙が発端で、

心が沈み壊れていくなか。

 

 

もう、生きていたくない、

死んでしまいたい衝動の、

張り裂けそうな痛みのピーク、、

 

 

ふっと、幼き頃の、

ある光景が浮かんだ。

 

 

それは、

実家の離れの2階から、

まだ、2歳程の私が、

下を覗くように見ている姿を、

後ろから見ている光景と同時に、

自分のリアル目線で覗き込んで、

下を見降ろしている光景。

 

 

俯瞰的目線(魂目線)と、

私の目線(自己目線)を、

同時に観ている感覚。

 

 

その窓際の場所から、

同時スローモーションのように、

自分自ら、ふわっと落ちていった後ろ姿と、

自分目線の目の前の景色から、

スーッと落ちていく光景。

 

 

あっ!!って感じ。

 

 

でも、助かった。

 

 

「あ、私、死ねないんだ、、」

 

 

どこか冷静で、

客観的かつ目が覚める感覚で。

 

 

この人生は、

自ら死ぬことはできない、

そこに助けが入ってしまうことを、

一瞬で悟ってしまったような、

諦めの感情を、

あの揺らぎの際、リアルに感じた。

 

 

そしたら、

魂の想いがのった光景の画が、

バン!バン!バン!って、

切り替わるようにフラッシュし、

次々、繋がると同時に、

あの落ちた意味がわかった。

 

 

「川は、水、、水は○○○○君で、

波板は、りゅうちゃん(旦那さま)、

私、りゅうちゃんに助けられたんだ、

そっか、そういうことやったのか。」

 

 

(と同時に、この真逆の意もあり、

覚えてたら、そのうち記録するかも)

 

 

腑に落ちる感覚と、

その光景と共に、

感情?心情?のようなものを感じて。

 

 

幼い日のあの時の私(魂)は、

この人生が、どのようなものか、

全て知っていて、

この世を生きていくことに、

絶望のような感情があって、

耐えがたく逃げたい、という感情。

 

 

誕生して、そう間もない、

まだフレッシュな時分、

実際には、まだ何も、

生きるに厳しく辛いことを、

体験したわけじゃないのに。

 

 

あの幼い私は、もう既に、

この世を生きていくことへ、

重たい気持ちを持っていた。

 

 

魂の癖感覚っていうのだろうか、

魂の心情みたいなものに、

タイムスリップした感覚で、

手に取るように感じるのだ。

 

 

で。

 

 

この2階から落ちた事は、

まだ子供の頃、

母が、2〜3度、話をしてくれて、

その度、へぇー運のいい子だなって、

思ったくらいで、

すっかり、忘れ去っていた。

 

 

で、そもそも、なんで、

そんな所から落ちたのかというと。

 

 

姉と隔離するため、

私のお昼寝時間は、

離れの2階で寝かしていたみたいで、

大人しく手のかからない子だったから、

一人でお昼寝してたそう。

 

 

普通に想像するに、

昼寝から目が覚めて、

窓から外を眺めたのだろう。

 

 

その窓も、

高い場所にある窓じゃなく、

割と低い位置にある窓で、

柵もつけてあったけど、

しがみついて乗り出せる高さ。

 

 

で、いきなり外から、

火が付いたような泣き声が響いて、

母が慌てて外に出たら、

私が下に落ちていて、

母は、血の気が引いて、

生きた心地がしなかったと言っていた。

 

 

すぐ病院に連れていって、

診てもらったけど、

不思議なことに、

かすり傷一つなく、

骨を折ることも無く、頭も異状なく、

母は、不思議だったと。

 

 

その離れの2階からの真下横には、

小さな小川が流れていて。

 

 

建物の一番下辺りは石垣になっており、

その石垣の傍に川が流れ、

窓からは、少しずれた位置の、

建物の1階辺りに、

小さな波板の屋根が付いてて。

 

 

川の真下に落ちることなく、

少し、軌道が変わったのか、

その屋根がクッションとなってくれた。

 

 

建物自体は2階建てだけど、

石垣の高さも結構あって、

石垣の下の川まで落下してたら、

戸建ての3階近くの高さ。

 

 

(今は、その川は工事され、

道路の下になっている)

 

 

幼児だから、

身体が柔らかいとはいえ、

そう高さがなくても、

打ちどころによっては、
命だったり、後遺症だったり、
大事になり得る可能性もある中、
無傷で済み、今に至る。
 
 
ほんでやな。
 
 
なんで、それが、
その波板が、旦那さまで、
川の水は、彼だと、
どうやったら、そうなんねん?
それこそ脳に障害が残ったんじゃ?
あんた、大丈夫かい?
となるのが、普通なんだけど。
 
 
それは、理屈云々じゃなく、
閃きの中にいるから、
幼き時空間と同時存在してる感じで、
瞬時に理解するリアル感覚、
としか言いようがなく。
 
 
文字にすると、膨大だけど、
閃きは一瞬なので、
その一瞬で、腑に落ちる。
 
 
起きる物事、起きた物事って、
たまたま、事が起こってると、
捉えがちだけど、物事は表裏一体。
 
 
表視点では、
単なる事故だけど、
裏視点では、 
魂癖と未来の私への救済。
 
 
幼い子どもの魂と言えど、
まだまだ純粋性の高いと思うから、
魂の癖がそのまま出ちゃって、
水の中に消えていきたかったんだね。
 
 
そして、
子ども時代からあった、
あの謎な感覚。
 
 
何で、この世に生きているのか、
生き辛さはあっても、
死ねない感、死んではいけない感が、
何か、心にあったのは、
この落下の経験とか魂の計画を、
どこかで分かっていからかもな。
 
 
しかし、あの落下のことは、
日常で思い出すなんて、
全くなかったのに、
あの時の揺らぎの極みで、
ふっと、光景が浮かんだのは、
幼い私が、伝えたかったんだろう。
 
 
あの日の幼い私が、落下して、
しかも、無傷で済んで、
そんな経験をしたから、
私は、諦めの境地に至り、今がある。
 
 
あれがなかったら、
閃き助けることも無かったもんな、
物事の起こり、因果って、尊い。
 
 
そして思うの。
 
 
人が大変容する時は、
命に係わる時、
絶望を感じた時がチャンスだなと。
(変容ではなく大変容)
 
 
絶望は、大いなる祝福だと。
 
 
私は、ここ数年、
何度、奈落の底に落ち、
何度、絶望を感じてきただろうと思うけど、
辛かったからこそ、
その分、この先が楽しみでもある。
 
 
どんな風に大変容していくのか、
私の中から、どんなわたしが、
現れてくるのか、
私は、わたしが見たいと思う。
 
 
パンドラの箱の奥には、
希望の光が詰まっているから。
 
 
あの揺らぎの極みの教えは。
 
 
最後の最後、
己を救うのは己しかおらず、
誰かが救うのじゃなく、
自分の救世主は、自分自身。
 
 
誰かに救ってもらいたいと、
思っている間は、
例え、見せかけの救いは起こっても、
真の救いは起こらない、
経験から思う。

 

 

お終い。

 

 

☺︎