なんか、
日々、取っ散らかって、
書けねーな。
ネタが豊富すぎて、
でも、そのネタたちは、
複雑に絡み合ってるから、
書き始めても、ややこしくて混乱し、、
もう、無理だ、書けねー( 。・・)/⌒□ポイ
放置、、の連続で、
下書き記事が、どんどん増えてく。
書けないなら書けないで、
全然、いいんだけど、
困ったことに、書きたい!が、
上回っているから、
やいこしい自分に溜息。
文字の神様、
どないかしてくれー(゚Д゚)ノ
そげな状態だけど、
昨日、ふと調べたことから、
目が合った数字「36」の記録を、
記すとするかのう。
手紙に書いてあった、
私たちの原点の日。
(お付き合いの始まりの日)
7月に手紙を発見した際にも、
その日付が気になり、
ネットで調べてみたら、
「友引」の日で、
やっぱり!と驚き&納得。
別れた日も、
「友引」の日だったので、
現実的な縁が繋がった日も、
共に引き合う日を選んでんだなって。
で、その時は、
やっぱり!と納得しただけで、
サラッと残りを流し見して、
ふーん程度で日にちサイトを閉じた。
そして、昨日、
また、ふと日付が妙に気になって、
再び、サイトを開いてみた。
そしたら、
36歳という数字と目が合い、
あれ?「36」?、、
そっか、36年前で、
誕生日を基準にした、
年的に言うと37年前になるのか。
余談だけど、
こういった年数や年齢の誤差。
今の私がそうで、
実質的には53歳だけど、
誕生日を迎えたら54歳みたいな。
例えば、
別れた年齢で計算すると、
実質、「34」年前になって、
誕生日年齢で計算すると「35」年前で、
どっちとも言えるけど、
どっちで書くか迷うのよね。
彼曰く、
満年齢と数えみたいなもんだから、
どっちでもいいらしく、
なるほど、そうだよねと思った。
あと気になったのは、
「35」年前の、
「35→三つ子」なのは分かるけど、
「34」年前の解釈なら、
「34」は、どうなん?って、
悶々としていたら、、これも、
『「34」も「三子(さんし)」だから、
似たようなもんだよ。』
そう感じて、
ほんまかい?と調べたら、
字の如く「三人の子」らしく、
ふーん、どっちも通用するのかと、
どうでもいい納得感を頂いた。
突き詰めるタイプなので、
自分でも面倒くさいなと思うけど、
それが、わしなので仕方ないな。
話を戻して、
彼が帰還した時点や今もそうだけど、
原点日を迎えてないので、
まだ「36」年前になるんだけど、、
この「36」。
彼は、
ここにも神的小細工を施していて、
「36」年に合わせて、
3月6日に帰還してるなって感じた。
しかも、
3月6日は彼の誕生日であり、
うまいことやりよるなって。
そして、面倒な女の私は、
年でいうと「37」年前だから、
それってどうなん?って、
それについて巡らせていると、、
『「37→10」だから、
いつも言ってる、cross+10、
今年は、この「10」の幕開けでしょと、
だから、「37」も意味があるの。』
彼は、そう伝えてくれた。
なるほど、
「36」には36の意味、
「37」には37の意味があって、
どちらもこの1年に関連させてて、
マジ、神ってるな!(゜o゜)
3月6日生まれの彼は、
「36」年という時間を経て、
3月6日に還って来てるなと、
昨日、日付のサイトを見た時、
「36」という数字にも、
彼の拘りを感じて。
しかも、
関係ないけど、
うちの車庫NOも「36」なんだよな。
昨年の、
エンジン始動トラブルの際、
2つの鍵が揃ったら、
エンジンが掛かった時。
その時、車の鍵のマークから、
3つ星の閃きを頂いて、
3の鍵2つで「3+3」=「33」へ導かれ。
その際も、なんでこうも、
「33」をごり押しされるのに、
うちの車庫NOは「33」じゃなく、
「36」なんだろう?と疑問があった。
「33」をごり押しの割に、
数字、ズレてるやろ?って。
そしたら、
彼が帰還して、誕生日を思い出し、
だから、「36」かと思ったけど、、
昨日、日付けサイトで、
やたら「36」の圧を感じ、
そっか、「36→9」ね、、
これも、彼の伝えたい、
ごり押し数字なんだな、と。
ほんま、
ようここまで、年数の語呂を、
ピタリと合わせてくるなというか、
そうなるように、
人生を歩まされてるなともいえて、
魂の意のままだぜって、つくづく思う。
因みに、
今、結び直しの日は何だろう?と、
調べてみると、「仏滅」で。
あら、仏滅なのね!
何か、これも意味ありそう!って、
調べてみたら。
仏滅とは、
本来、「空亡」「虚亡」と呼ばれ、
「全てが空で虚しい日」という意味から、
物がなくなる=物滅が由来で、
近年、物を仏の文字に充てたそう。
これを読んで、
空虚とも言えるけど、
あれ?「虚空」やんなって思った。
(匂うなこれも、、)
そして、
「物事がいったん滅び、
新たに物事が始まる」とされ、
新たに始めるにはよき日でもあるそうで、
なんか、結び直しの日にぴったりで、
素敵な情報を頂いた。
私、こういう仏滅とか、
興味も拘りもなく生きてきて、
でも、これからも拘る気はなく、
ピンと来た時に調べる程度だけど、、
こんな風に、あれ?って思ったことには、
ささやかな伝えたい言があって、
それを感じると、
すべて愛だなと幸せだなって、
感じさせてくれる。
そして、
今日、書きながら気付いたことは。
2023年は、私にとって、
土台であるcross+10の幕開けであり、
私たちの2つの鍵が織りなす「33→6」、
(鍵のことはそのうち記録する予定)
その「33」を、
私たちが体現していく「36→9」。
「36」という、
魂が携えた使命を果たしていく、
この2023年は、
そういった事が明けていく年。
そして、
明らかになっていく、
ともいえるな。
今年は、
ウサギ年で卯の年で、
卯の刻とは、朝の5~7時の刻で、
日の出の時刻帯なので、
そういう意味でも、
今年は夜明けの年で、なるほど感。
あ、それと、
日付サイトで1986年は、
寅年だと書いてあって、
これも、どこか納得感があり。
寅年って夜明け前だから、
昨年後半から、その夜明け前が、
段々、夜が明けていくような、
そんな雰囲気を感じていて、、
だから、昨年は、
トラさんにご縁があったりと、
なんか繋がってるよなーと思った。
そして、2023年、
これらと足すと「7」で、
私的に今年は、
「7」のエネルギーの年。
私にとって、「7」は、
私は生涯大切にする数字であり、
全てを光へ変えていく、
輝きそのものの愛の数字。
本当に始まっていくこの年に、
意識にしっかりと、
「7」を与えられたのも、
必要な然りだなと感じる。
2018年に、
虹はお前の姿だって、
言われたのは、そういう事かな。
最後に、驚きの品を。
手紙と一緒にいた、
彼が買ってくれた、
真っ赤なスウェット。
(あの時代の懐かしのブランド)
この服、捨ててなかったんだと、
手紙を発見した時、
自分でもびっくりしたけど、
(どんだけ持ってんねん)
調理学校通いながら、
バイトして買ってくれたんだよね。
この「88」の字が、
貰った時から、
すごくインパクトあって、
1988年の「88」なんだろうけど、
色といい数字といい、印象深い品で。
なんか、捨てられなくって、
でも、捨てようか持ってようか、
何度も迷った記憶はあったけど、
その先は覚えてなくって、
結局、ずっと持っていたみたい。
持っていたことすら、
忘れてたけど。
この服を貰った時、
もう1枚、白の薄手の、
コムサのカットソーも、
セットでくれてて、
四葉のクローバーが左下に、
小さく刺繍されていて、
今、思えば、ちょっと、
その白のカットソーも意味深だなと。
ほんで、
カルマナンバーを思い出した2月頃から、
このスウェットの「88」が、
ふと浮かぶことがあって、
あの貰った赤い服、
「88→16→7」だなぁって。
赤の色といい、
私たちのこの先への、
大切なメッセージも、
秘め伝えてくれてるって感じた。
こんな感じでフッと、
彼を、微かに思い出し始めていた2月、
でもまさか、彼が還ってくるとは、
微塵も思ってもいなかったけど。
彼は、
隠し芸のネタが細かいから、
色んなとこに、仕込んであって、
それを発見することが楽しくて。
謎解き探究オタクだから、
ネタを蒔いてもらって、
それをキャッキャと回収して、
何だか一緒に、
遊んでもらってるみたい。
ありがとう♡
結構な文字数になってもうた、
今日の記録はお終い。
☺︎