前回、話が逸れて、

書きそびれた、ぼんやり備忘録を、

今日は、記すとするか。

 

 

ここ数日位、

勝手に出てくる言葉、

「どうでもいい」という言葉と共に、

フッと浮かぶカード。

 

 

34「プア」花。

 

 

カードのエッセンスは前進、

チャントは、「花は開き始めている」。

 

 

昨日も書いたけど、

丁度、うちのサンスベリアも、

このカードの言葉のように、

11年の時を掛け、

初めての花を咲かせようとしていて、

プアのカードが浮かぶのは、

タイミング的にも合っている。

 

 

それもありつつなんだろうけど、

私が浮かんだのは、そっちではなく。

 

 

私は、この絵の中の槍に、

遠い昔の映像が、

何度も浮かんで重なって、

あぁ、なるほどなって思った。

 

 

その遠い過去の映像は、

彼と別れた頃(19歳)、

私は、情報処理系の会社に入社し、

私を含め、同期女子4人で、

いつも、休憩時間に集まり、

たわいもない会話をしていた、

とある光景。

 

 

その時も、

たわいもない会話で、

一人の子が、間違って、

「人生やり投げ」って言って、

それ言うなら、「人生投げやり」だろと、

4人で、ツボに入り大ウケ。

 

 

それ以来、

私の中で、密かにこの、

「人生投げやり・やり投げ」が、

すごく印象に残るワードになってて。

 

 

先日の、「どうでもいい」の時、

あ、今の感覚は、

「人生投げやり」っぽいし、

「人生やり投げ」っぽいなって、

そう感じたら、なんか楽で。

 

 

というのは、

今月3日の彼の手紙の出現に、

日が追うごとに、

私の何かが壊れていって、、

 

 

夜、寝る前、

ふと、ベランダから見える、

梅田のビル群と、

ビルの赤い点滅灯の光と目が合って、

何となく、ぼーっと眺めていて。

 

 

深夜の暗闇は、

ビルの谷間が際立って見え、

昼間のあの下には、人がいて、、

沢山の人がいるのに、、って。

 

 

すると、そのビル群は、

地球の形になって、

地球規模のビルの谷間にも、

この世にも、人は大勢いる、、

 

 

あぁ、でも、

そこに彼はいないんだ、、って。

例え、この地球隅々、

どこを探そうとも、彼はいない。

いるのは、私の中。

 

 

心の中に存在する歓びと、

外なる世界に存在しない、

残酷な現実に息苦しくなって、

歓びの際限がない分、

心の痛みの深みも底なし沼級に深くて、

張り裂けそうな気持になる。

 

 

そして、もう一方で客観的に、

私だって、昨日の私、数秒前の私すら、

もう、どこにもいない。

 

 

全てのものは、瞬間にしか存在しない。

 

 

だから、この世は幻想だって、

ちゃんと分かっていて、

苦しめてるのは、

私のエゴだと分かっているけど、

人には記憶があり感情もあり。

 

 

彼は生きた生身の実在した人、

心を通わせ触れあい愛した、

愛しい時間は、どれも現実で。

 

 

それを、長い年月を掛け、

やっと、地獄の苦しみを手放せ、

自分の人生を生きようとした中で、

姿形ない姿で、再び現れるという、、

 

 

どこかの知らない、

宇宙エネルギーが降りてきたとか、

何やら、水の神が降りてきたとか、

そっちのほうが、楽でもあって。

 

 

頭では理屈はちゃんとわかってて、

彼が戻らないと、

私は女性性を失ったままで、

新たな人生が始まらないのも、

分かっている。

 

 

何もかも、魂の計画通りだとはいえ、

私という物質、

彼という非物質を併せ持って、

この世を生きるって、、

常に落差の中にいる感覚でキツく。

 

 

でも、こんな経験する人は、

比率的に少ないだろうし、

客観的にみてもすごいことで、

超特大級のギフトでもあって。



頭では分かってる。

 

 

色んな見方で、

あちこち揺れる心を、

落ち着かせようとなだめても、

行き場のない、ぶつけようのない心は、

なんで、こんな想いまでして、

生きなあかんねんと叫びたくなって、

毎晩、目の前の梅田の夜景と目が合う度、

絶望感が襲ってきて、

どんどん心が空白になっていった。

 

 

終いには、

もう、彼なんていらない、

記憶なんていらない、

感情なんていらない、

この身体もいらない、

邪魔で邪魔でしょうがない、

もう、何もかもいらない!!

 

 

実に投げやり状態に。

 

 

その頃から、

幼い頃のある光景が、

ふっと浮かぶようになって。

(これは、別でそのうち書くかも)

 

 

その光景から、

どこか、諦めの境地に至ると、

こんな想いが湧いてきて。

 

 

彼も何もかも、どうでもいい。

どうなろうと、どうでもいい。

大きな視点でみるとか、

前向きとか後ろ向きとか、

ポジティブだのネガティブだの、

そんなのも、もうどうでもいい。

 

 

今この瞬間でいい。

この投げやりの私でいい。

私は、この瞬間のわたし、

それだけでいい、

もう何も考えたくない。

どうにでもなれ!

 

 

そのピークが7月17日の日、

怒りが混じる心を感じると、

空間に放たれたような感覚になった。

 

 

そう、

カードのやり投げの槍が放たれ、

空の中に存在しているような感覚。

 

 

そっか、

投げやりになるとやり投げになるんだ、

遠い昔のツボったあの光景って、

意外と深いことだったんだなと。

 

 

このカードは、

目的を定め一点集中で槍を放つ(行動)、

ってな読み方もあるけど、

先日、プアを感じた時の私は、

どうにでもなーれ!!って、

ポーイって感じで、

自分を捨てた感があって、、

 

 

今、書いてて気付いたんだけど、

私の何かが死んでいくような、

あの感覚は、過去を抱えている私を、

放り投げたのかもしれないな。

 

 

私は目的なんて持たないから、

槍が落ちる場所が着地場所。

 

 

着地して大怪我しようが、

あの世に行こうが、

うまく着地しようが、

それすらどうでもよく、槍任せでいい。

 

 

そして、

プアのカードの説明を読んでみると、

色々と興味深いことが書いてあり、

中でも、この部分と目が合って、

 

 

Blossoms unfold in an Age of Flowears

(花の時代に開く花)と呼ばれる、

新しい時代に入りつつあると予言があり、

セネカ族は、

「第4世界から第5世界へ移行している」

マヤ族は「新しいイツァの時代」

キリスト教は「試練」

占星術は「水瓶座の時代」

チェロキー族の教師(マスター)は、

この時代を「花の時代」と呼んでいる。

 

 

この新たな世界が現れ始めたなと、

すごく感じた。

 

 

そういう意味でも、

私の投げやりのやり投げは、

よきタイミングで放り投げられ、

花の時代へ向かって開いている、

そんな気がした。

 

 

こんな事を書こうとしてたら、

昨日、全然違う、

サンスベリアネタに流れ、

波のように来る気持ちの揺らぎは、

サンスベリアネタに触れ、収まった。

 

 

これからも、

過去を思い出す度、

こんな揺れは来るかと思う。

 

 

それくらい、愛する人だから、

もう一人のわたしだから、、

仕方ないこと。

 

 

そんなことを繰り返しながら、

私は、少しずつ、

彼との一心同体に慣れていき、

愉しめるようになるんだろうな。

 

 

彼が肉体としていないという、

現実を乗り越え生きていくこと、

これが、彼から示されたテスト、、

手紙の出現は、きっとそれが真意。

 

 

くっそー○○○○め、

私は越えてみせる、

わしを誰や思うてんねん、

見とけよボケ!と、彼に言いたいわ。

(見とけも何も、ここにおるけどな)

 

 

ずっと、封印してきた過去。

 

 

過去と向き合える時の訪れは、

私にとっては祝福でもあり。

 

 

壊れながら、

苦を避けるのではなく、

苦しみの中へ入り、

時間は掛かったとしても、

ちゃんと、過去を終わらせ、

その先へブレイクスルーしてくのかな。

 

 

まだ、色々と、

過去事はあるから、

それらも放っていこうと思う。

 

 

では、お終い。

 

 

☺︎