続き。

 

 

まだ、飼ってもいない、

インコの名前は、

「カインとアベル」と命名を受け。

 

 

そして、その後日のこと、

安室ちゃんの「I will」の曲で、

亡きわんこのうぃるが降臨すると、

次々、連鎖が起き、

旧約聖書の「イゼベル」に行きついた。

 

 

そのイゼベル妃も、聖書では、

生贄などの祭祀が神から問題視され、

この点も、カインとアベルの「供物」と、

共通しているテーマだなと感じた。

 

 

それはそれで置いといて。

さらに興味深いことに気づいた。

 

 

前にも書いたけど、

うぃるを買う時、

うぃるは妹と同じケージにいて、

ぼたんも飼う時も、

兄弟犬と一緒にいて、

2匹で箱の中に入っていた光景が、

ふと浮かんで。

 

 

あれ?

うぃるの兄妹、ぼたんの兄弟、、

「カインとアベル」も兄弟。

 

 

「1と1」だ。

 

 

そして、

どちらとも、その2匹にうち、

1匹を選び購入している。

 

 

これって、

ある意味、「カインとアベル」にも、

通づることだなと思って。

 

 

選ばれたものと、

そうでないもの。

 

 

うぃるの妹は、

恐らくだけど、繁殖犬で、

うぃるとは、全く違う境遇へ。

 

 

で、ぼたんの場合は、

(多分、ぼたんは弟だと思う)

見学時、すごく印象的だったことがあり。

 

 

ブリーダーさんが、

兄犬も一緒に買ってほしいと、

すごく、すすめられて。

 

 

でも、

私は、多頭飼いは全く頭になく、

兄犬には申し訳ないけど、

丁重にお断りした。

 

 

そしたら、一緒にいた娘が、

「この兄犬を買わなかったら、

この子、どうなるんですか?」

って聞いたら、

ブリーダーさんは口ごもってしまい。

 

 

更に、娘が、

「ペットショップとかに、

売られるんですか?」って、

追い質問したら、

「まぁ、そんな感じです」と、

どこか、ばつの悪そうな雰囲気で、

お答えになった。

 

 

兄犬のその後の行方は、

どうなったか定かじゃないけど、

ぼたん達の場合も、

どこか、うぃる達と似てるなって。

 

 

私が大人になってからの、

犬とのご縁は、ぼたんで2度目。

 

 

ペットショップで、

兄弟2匹で売られてるのは、

滅多にみかけないのに、

この子だ!!ってピカーんと来た子が、

その2度共、兄弟売りされてるって、

たまたまだけど、たまたまちゃうなと。

 

 

そして、もう1つ、感じたのは。

 

 

うぃるの妹犬は、

立ち耳とたれ耳のチグハグお耳、

ぼたんの兄犬は、

パンダのような白黒柄で。

 

 

どちらも、

耳と白黒の対比が、

2面的な対極性を感じ、

これも、「カインとアベル」の、

対極的な様と重なって、

「カインとアベル」は対極・2面性も、

伝えているような気がした。

 

 

私は、

ピンと来たのが、

うぃるとぼたんだったけど、

こういう視点から感じると、

無意識に、2面性を持つ子を、

私は、選ばなかった。

 

 

これは、

私自身を表しているように思え、

私は、何を隠そう、

2面性で出来ている。

 

 

昔から、

そんな両極端で対極な、

ふり幅が大きすぎる自分に、

すごく矛盾を抱えながら、

時に、そういう自分に、

しんどく感じながら、大人になった。

 

 

今でこそ、

自分の中の善悪・陰陽、

天使と悪魔、男性性女性性など、

どちらも可愛く愛し愛しいけど、

この子たちを迎えた頃の私は、

そんな矛盾を抱えたまま、

2面性ある私を切り捨てていた、、

のかもしれないな、と。

 

 

多くの人は、

自分の中の清廉さには、

無条件でyesと言えるけど、

醜く汚く弱く黒々しぃ部分には、

蓋をし直視しようとせず、

抹殺していることにも気付いてない。

 

 

かつての私もそう。

 

 

今の私は、

カインの癇癪が可愛く思えてくる。

人間らしくていいじゃないって。

ワル悪カインでも、

カインにはかわりないのにね。

要求した供物を受け取り拒否って、

神様ったら、いじわるよね。

 

 

そして聖書の中は、

アベルは、あんなに信仰厚く、

殉教者として英雄扱いでもいいのに、

アベルの話は、ほぼ無しで、

カインの話で、ほぼ語られている。

 

 

その上、

カインには、如何なるものからも、

殺されない特権が与えられ、

ある種の、永遠の命を、

神から与えられているようにも感じた。

 

 

神に愛されていたのは、

カインのほうでは?

とさえ思えてくる。

 

 

しかしそれは、

地上に縛られることでもあり、

別の見方からすると、拷問。

 

 

神様も、ツンデレが過ぎて、

大いに矛盾!(^^)!



もしかすると、神様は、

自分をストレートに表現するカインが、

可愛く羨ましかったのかもしれない。



旧約聖書のイゼベルも、

カインと似通っていて、

偶像崇拝やんちゃお妃の割に、

異教排除の対象ではあっても、

悔い改める対象に、

入ってなかったそうで。



自然崇拝者なだけあって、

人間のどろどろとした深みも含め、

彼女も、自然体だったのかもしれない。



神は、その深みを隠し、

清らかな綺麗事を全面に教えを説き、

それが、アンバランスな社会構築へ、

繋がっていたのではないかと。

(婆の勝手な妄想です)



そう思うと、やはり、

神様も、矛盾してるな。



そして、私も、

動物業界の闇を感じながら、

買っているという矛盾。

 

 

実に、矛盾だらけだw

 

 

世の中は、

矛盾だらけで、

私も矛盾だらけ、

神様も矛盾だらけ、

それでいいと思う。

 

 

だから、

矛盾なる私は、わたしとして、

今日も生かされ存在できる。

 

 

醜い汚く腹黒く根暗で弱い自分を、

抹殺する人生は終わり、

可愛く美しく腹白い根明で強靭な私と、

共存共生、それが健康的。

 

 

どちらも生かし葛藤することも、

何かを生み出す糧になる。

よって、矛盾はすさまじい、

創造のエネルギー源なのだと、

ワシは想う。

 

 

2面性、万歳!!

 

 

「カインとアベル」って、

聖書って深いなと思った。

(閃きや導きが無い限り、

読み触れる気はないけど)

 

 

そして、

兄妹とか兄弟、

これも、すごく気になって、

これ、メッセージな気がするな。

 

 

うちの娘息子も私の姉妹も、

相反する対照的な性質だから、

なんか、気になる。

 

 

それと「11」は、

他にも、色々と意味を含んでいて、

たかが数字だけど、

そこからの連鎖派生がすごくて、

困る&うれしい。(大いなる矛盾)

 

 

お終い。

 

 

☺︎